■ 湘南平から、大磯の方に下りてみます。
●揚谷寺横穴群
来た道を少し戻ると、大磯駅の方に下りる道があります。そこを暫く下りると「道しるべ」が出てきますので、揚谷寺横穴群の方へ行きます。
薄暗い山陰に並ぶ横穴群は、不気味な雰囲気を醸し出していました。
大磯北側に広がる丘陵部にはいく筋もの谷が刻まれており、その一つ、揚谷寺谷戸の南向きの丘腹に4段に配列する20穴からなる横穴群があります。これは、7世紀頃の墓といわれ、県の重要文化財に指定されています。
●高田公園
横穴群を見た後、来た道を分岐まで戻り、高田公園を目指してみました。
「ブラリひょうたん」で有名な劇作家高田保を記念してつくられた公園だそうです。
公園には高田氏のお墓があります。また、大磯港,湘南を展望出来たりもします。
●妙大寺
ここには、大磯の海水浴場を開いた松本順の墓もあります。(写真右下)
妙大寺の西側一帯は、松本順の功績をたたえて町民から贈られた土地で、ここに別荘を建て晩年を過ごしたそうです。
■ 次は、王城山を登ってみましょう。
●旧安田邸
旧安田別荘は、現在安田不動産大磯寮となっており、通常は公開されていません。
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●王城山
上の写真の門に向かって左の方に、何やら道らしい石段が見えます。それは、王城山への登り口です。
荒廃した山道を登ると、石碑群があります。(写真下)そして、突き当たった道を右に登った山頂には「明治天皇観魚の碑」があります。(写真上) ここからの眺めは、昔はもっと良かったそうです。
どうやら「王城山」とは、もともと安田邸の庭のようなものだったようです。
●釜口古墳
山道(来た山道)に戻らず、道なりに暫く下りていくと釜口古墳があります。
県重要文化財の釜口古墳は、江戸時代にすでに開口していたため釜口と呼ばれた。古墳時代後期の円墳だが、高麗尺を使用し、朝鮮式の石組の見事な横穴式石室を持っている。天井石は、厚さ1mもの一枚石である。このあたり一帯が王城山と呼ばれていることから、高麗王若光一族の有力者の墓とも考えられるそうだ。
言われてみれば、大きさこそ比較にならないものの、明日香村の石舞台を思わせないでもない。
↑民家の横の細い道を入ると、それは出現します。
↑そこには、言われなければ気付かないような小さな古墳があります。
ここにはどんな歴史があったのでしょうか? 高麗山は、この辺に残された最後の自然環境です。
●化粧井戸
坂道を更に下り、突き当たった道を左に暫く行きます。
松並木の美しいこの通りに、仇討ちで有名な曽我兄弟ゆかりの虎御前の化粧の井戸がありました。
虎御前はこの近くに住み、朝夕この井戸の水を汲んで化粧をしていたことから、この名がついたといわれています。
●善兵衛池
湘南平の駐車場のあたりから、善兵衛池の方へも下りることが出来ます。
この辺りは水が乏しく荒れた山田であった。土地で人望があった善人善兵衛は、その困窮を聞いて農地の開発を志しすべて自分で事業を行なった。
1600人の労力をかけて東西24m・南北16m・深さ4,5mの用水地をつくり 水利を整えて二年後に立派な良田とすることが出来た。
1819年、この功を賞して老中から白銀5枚がおくられ苗字帯刀を許され三宅姓を名乗った。
池畔の石碑(写真左下:多分これでしょう)はその記念に建てられた。後に二宮金次郎もこの事蹟を調査したことがある。
池のある宝山周辺は当時の景観がよく保存されている。土手の両側にある善兵衛池横穴群(写真右下:多分これだと思う)は、大磯に多くある古墳墓のひとつである。 ....と、看板に書いてあります。
●おまけ(白岩神社)
3月初旬に、ここで歩射が行なわれるそうです。歩射とは、馬に乗って行なう流鏑馬と異なり、歩きながら弓で的を射つという珍しい行事です。
・よろしければ、こちらもご覧下さい。地図北側のプチスポットです。
→ 地図北側 おまけスポット
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