旧安田別荘(現安田不動産大磯寮)一般公開 June 1,2003
 ここは、安田不動産の協力によって、年に一度だけ開放されます。
庭園
1.由来(家歴)
 安田善次郎がこの北之端にある浅野総一郎氏邸を譲り受けたのは、明治末期から大正初期頃のことであります。安田善次郎氏は、前所有者の浅野総一郎氏が経営する浅野財閥の諸事業へ融資しており、こうしたことから浅野氏が大磯の地を安田氏へ紹介したものと思われ、この地を安田氏へ譲り渡し、自らは高麗560番地外の地へと別荘を移しています。
 しかし、この時に譲り受けた別荘は大正4年9月に焼失してしまったことから、善次郎氏は新たに大正6年に別荘を建てており、これが現在の安田不動産大磯寮として使用されている建物です。また、この頃には北之端(現在地)の外、堀之内、王城山、簾田にも土地を求め、合計10300坪を所有しました。
 善次郎氏は、大正10年9月28日にこの大磯別荘で亡くなられましたが、明治末期に譲り受けてから、この大磯の地をこよなく愛し、よくこの別荘を利用していたようです。
 善次郎氏が亡くなられてからは、この別荘には一時善次郎氏夫人が住まわれていましたが、昭和5年に夫人が亡くなられますと、この別荘を安田善次郎記念館として永く保存することとなり、経蔵や持仏堂が新しく建立されました。そして、翌6年には裏の王城山中腹にありました善次郎氏の墓地も下に移され、現在地に夫人とともに葬られています。

2.屋敷地
 旧浅野邸の屋敷地は、高麗山南沿いの麓近くにあり、以前は字北之端と呼ばれていたところです。
 明治27年1月改正の大磯町役場の建物台帳によりますと、その屋敷規模は2反3畝25歩(715坪)となっています。
 さて、現在屋敷内には、主屋、経蔵。持仏堂の外、昭和6年に画家の安田靭彦氏設計による法隆寺聖霊院厨子を模した唐破風平唐門があります。また、昭和9年に国の重要美術品に認定されました「嘉元三年(1305)」銘の石像・石造・十三重塔があります。
 
3.建物
 現存します安田家大磯別荘は、純和風住宅の平屋建で、大正6年に建てられたものです。その外観は屋根を寄棟造桟瓦葺きに、外壁を下見板張り(一部漆喰仕上)としています。内部の厨房と風呂場の内装を変えてはいますが、外観や間取りはほぼ以前のままで大きな改築は見られず、庭園も含めて建築当初の姿をよく残しています。

                          以上、パンフレットのほぼ全文




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