平塚を観光しよう!  (with FinePix 500)

 今回は「平塚」の観光というか.....お散歩です。 と言っても、こんな広範囲を本当に歩いたら目茶苦茶に疲れるでしょうねえ。 ...2002 May〜
ちず

 ○ はじめに
  平塚の玄関口といったら、やっぱりJR平塚駅でしょう。東京よりの出口は、北口,南口と呼ばれ、南口を降りると噴水と人魚の像が出迎えてくれます。また、北口方面には駅ビル「ラスカ」や商店街が控えています。北口を降り、2階からエスカレーター寄りの「ラスカ」入口に入ると観光案内所がありますので、資料が欲しい人は、立ち寄ってみると役に立つかもしれません。 一方大磯よりの出口は、(北も南も)西口と呼ばれています。

 ○ 平塚八幡宮
  
平塚駅北口から、(私の足で)徒歩で約10分。ここは平塚八幡宮です。八幡宮の森は「かながわ美林50選」に指定され、中心市街地のオアシス的存在だとか。ここには野生化した鶏が沢山居ましたが、最近は減ったようです。ここに隣接して、八幡山公園(桜の名所)や、平和の慰霊塔などもあります。
八幡宮1 八幡宮2

  伝承では仁徳天皇の頃に、応神天皇を祀ったという。相模国八幡庄の総鎮守,つまり、相模宮の中心であり,相模五丿宮として国府祭に参加している。また源頼朝が神馬を奉納し政子の安産を祈願するなど鎌倉幕府の尊拝をあつめたそうな。

 ○ 博物館 AM9:30〜PM4:50 月曜休館
  八幡宮から5分(同上)ほど北に歩くと、博物館が有ります。公園にもなっている敷地内には、SLがあったり図書館があったりします。 

博物館
平塚市博物館

SL
 敷地内にはD52もあります。

 ここは「相模川流域の自然と文化」をテーマにしている地域博物館だそうで。土日には、プラネタリウムもやっております。
 五領が台貝塚の説明,平塚宿の模型,真土大塚山古墳出土の神獣鏡の複製などが展示され、市内の主な遺跡・遺物の概要を知る事ができるそうな。 

 ○ 美術館 AM9:00〜PM5:00 月曜休館
  博物館から北側に歩いてゆくと、通りを隔てた所に美術館が出現します。
美術館

 「湘南の美術・光」をメインテーマとし、平塚をはじめ湘南にゆかりある優れた芸術作品を集めた常設展示や、個性ある企画展示を開催しているそうです。

 ○ 平塚総合公園
 さらにずーと北へ行くと、総合公園が有ります。


ふれあい動物園

日本庭園
日本庭園

 球場,競技場の他、日本庭園 や ふれあい動物園 などの施設も持つ総合公園です。
 そういえば、通りを渡るとPILOTの平塚工場があります。そこには「筆記具資料館(入場無料)」があったと思います。

○ 中原上宿遺跡

 昭和53年から3カ年計画で実施された「都市計画道路平塚海岸ー伊勢原線新設に伴う遺跡の発掘により明らかとなったもので沖積低地の砂丘列上の遺跡である。
 住宅街に近隣しているため実質の調査面積は約8000平方メーター。注目されるのは集落址で、調査中央部では弥生後期と6〜10世紀にわたる住居址とそれに伴った井戸址などが発見された。

○ 中原御殿の跡
 徳川家康が鷹狩りなどの折りに宿泊所とした中原御殿が、中原小学校を含む一帯にありました。
 御殿の規模は東西約141m,南北約101mで、四方に約10mの堀をめぐらし、東側を表としていました。
 御殿が造られたのは、1596年とも言われますが、諸説があります。1642年に修復されますが、1657年には引き払われました。
 その後、跡地には松や檜が植えられ、その中に東照宮が祀られました。その様子は「中原御宮記」の巻頭に長谷川雪堤の筆によって描かれています。

 ....と、看板に書いてあります。

 御殿二丁目にある中原小学校付近に中原御殿があった。

○ 海軍火薬廠跡の碑
明治38年8月に決定した日英同盟の強化策の一つとしてアームストロング,ノーベル,チルウォースの三火薬会社と日本海軍省が共同で日本化薬製造会社平塚工場を建設した。のち、日本爆発物製造会社・海軍火薬廠・第二海軍火薬廠と改名され、太平洋戦争終戦まで世界有数の火薬製造工場として存在した。

 ○ お菊塚
 
駅西口から北に少し行った所の公園に、お菊塚があります。おなじみ番長皿屋敷のお菊さんのお墓だそうで。
お菊塚

 伝承によると、お菊は平塚宿役人真壁源右衛門の娘で、行儀作法見習のため江戸の旗本青山主膳方へ奉公中、主人が怨むことあって菊女を斬り殺したという。・・・  と、左の写真の看板に書いてある。

 ○ グリーンサウナ    http://www.green-sauna.com/
 西口から北西に歩くとGREEN SAUNAが見えます。私の知人で「温泉温泉」と騒ぐ者は多いのだが、此処へ来た事がある人は、何故か少数です。(この エセ温泉マニア らめ!)

ぐりーんさうな
 正面より

れお
美と健康の守護神「レオ」とな

 平塚にも温泉が!! 2400万年前の地層から湧き出た温泉「太古の湯」を持つグリーンサウナ。入泉料も、1時間コースなら1000円以下でOK。歩くのに疲れたら、温泉で一休みしては? また、帰りが遅くなったら、仮眠所としてもGoodです。

 ○ 人魚の像
  
平塚駅南口を降りると人魚の像が出迎えます。

人魚の像
人魚の像

出会いの像ちなみに北口には出会いの像があります

 特に何て事はないんですけれど。まあ、目印ですね。

 ○ 河野洋平邸
 
人魚の像から大通りを南に歩いていると、やたらと大きな邸宅が出現します。一体何なんだ。
豪邸

  お答えしましょう それは、河野洋平宅です。河野太郎氏の親父さんですね。

 ○ 村井公園
 
近くに一風変わった公園が有ります。 そこは、村井弦斎ゆかりの公園らしいです。

 明治・大正時代に活躍した作家。文久3年吉田(愛知県富橋市)に生まれました。開校直後の東京外国語学校に学び米国へ留学、帰国後「報知新聞」の記者となりました。・・・と写真右の看板に書いてあります。

 平塚では、弦斎のレシピを復興させ、数々の食品(豆・カレー・羊かん・スープ・そば・etc.)が発売されています。
 写真のカレーパンは、オリンピックの通りを北に行き、線路を渡って右の所で買いました。その場で揚げています。油っこくて手が汚れますが、結構おいしかったです。揚げたてではありませんが、梅屋(駅北口地下道から入れます)にもある様です。

 ○ 高山樗牛(ちょうぎゅう)博士記念碑
記念碑 アップ記念碑

 明治文壇に、かがやかしい光を放った高山樗牛は、明治33年9月11日、はじめて平塚海岸杏雲堂の診察を受けてから、大磯・興津・片瀬に転地療養を続けていたが、次第に病勢が悪化し、遂に明治35年秋、ふたたび平塚の杏雲堂に入院し、つよく再起の日を期待しつつ加療に専心したが、その年12月24日、32才で没した。樗牛はこの年の春、文学博士の学位を得、新設される京都帝国大学教授に内定していたので、京都赴任の日を待望していたものの、全ては水泡に帰してしまった。
 昭和32年平塚市の有志は、樗牛病没の地に記念碑を建てた。撰文は戸川貞男市長、石は樗牛が赴任を塾望していた京都産の鞍馬石を選んだそうだ。

 「扇の松」の付近に「おきなや」という所があるのですが、そこにも記念碑を見付けました。樗牛は、杏雲堂に入院するまで此処「おきなや」から病院に通っていたそうです。

 ○ 扇の松
 この通りは、この木の名をとって、「扇松海岸通り」と呼ばれています。

扇の松
扇の松


平塚南図書館

 平塚市保全樹木(指定第14号)の黒松です。近くに、銭湯や図書館などもあります。

 ○ ビーチパーク
 平塚駅南口から20分ぐらい南に歩くと海に出ます。そのうちの一部は、ビーチパークと呼ばれるところです。

ビーチバレーコート
ビーチバレーコート


スケートコース


うみ〜

遊歩道
Promenade

 平塚は遊泳禁止と思われているけれど、実は一部限定で泳げるんです。他にもビーチバレーコートやスケート場等色々な施設もあります。ここは余り人に知られていない穴場的スポットではないでしょうか? 

 ○ OLYMPIC CITY
オリンピック

 単なるショッピングモールですが、駅前商店街より賑わっているかもしれません。

 ○ お花畑
 相模川の河川敷に、花畑が出来ました。その名は「光と風の花つづみ」とな
花畑


川沿いに広がる花畑

ちゃぺる
 土手を歩いていくと教会が見えます

 春にはポピー、秋にはコスモスが咲き乱れるそうです。

 ○ F1ドリーム平塚
 
花畑の土手を越えると、そこにはサーキットが! ここは、レンタルカート専用コースですので誰でも走行OK!

CIRCUIT
サーキット全景

RENTAL CART
RENTAL CART

 コース幅が狭いので、追い越しはほぼ無理ですが、一周毎にタイムが表示されるので結構燃えます。(エンジンは、50ccのリミッター付 らしいですが、80Km/h位は出るようですし、車も結構本格的。 一応「無限」ですよ。)
 以前走った時、青旗を出されてしまったので後続車を先に行かせました。「何でこんな遅い車相手に青旗を出されてしまったのか?」と、悩みながら後ろについて走っていると、何と、タイムが上がっているじゃありませんか! 要するに、私の走りはコーナーで突っ込みすぎみたい。立ち上がりでふらついてては、タイムも当然ロスるわな。やっぱり基本は、スローイン ファーストアウト。カウンターあてながら走るなんて、ブレーキングが下手な証拠です。

○ 連光寺・持ち上げ地蔵
 
連光寺境内に、持ち上げ地蔵なる地蔵があります。

 心のなかで願いごとを念じながら持ち上げ、軽く感じたら願いが叶う、重く感じたら叶わないという地蔵で、抱き地蔵とも呼ばれる。
 石仏の地蔵尊は数多いが、持ち上げて占いをするのは市内で唯一である。ここ連光寺境内に移される以前は、馬入地区の信者の家にまつられていた。
 
○ 丁髷塚

 むかし、相模国府祭の日の夕暮れ、東海道を帰還途中の一之宮寒川神社の神輿をかつぐ若者たちと平塚八幡宮の神輿をかつぐ馬入村の若者たちが、ささいなことから喧嘩を起こし、馬入村の若者たちが一之宮の神輿を馬入川に投じるという事件が起こった。当時の馬入川は大変水量が多かった。この喧嘩で双方にたくさんのけが人を出したが、相模国の一之宮の神輿に対し乱暴をはたらいた馬入村の若者たちは、代官江川太郎左衛門の厳しい取り調べを受けることになり、下手人の16名は打首断罪の判決を受けたが、処刑の日、代官はその丁髷だけを切り落とし、打首に代えた。罪を憎んで人を憎まぬ名代官の名処置に16人は勿論のこと村人たちは涙にかきくれたという。
 その丁髷を埋めたところに、この碑を建てたものである。

 ○ 湘南平(& 高麗山付近) ...2002, Nov. 〜
  神奈川景勝50選の地で、平塚(冒頭の地図を外れるほど大磯寄りですが) 唯一の山です。
  こちらからどうぞ → 湘南平  

 ○ おまけ
  ・
平塚名物   七夕祭り  .....2002,July 〜addition
  ・平塚史跡Map 平塚宿(旧東海道)史跡訪問 ....2002,Dec.  


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