ここでは、地図の南側にある史跡を紹介します。
●教善寺
永海山妙音院と号し、市内唯一の時宗寺院である。本尊は、聖観世音菩薩立像で、眼病平癒の祈願に効験があるといい、海中より出現したと伝える。伝説では、時宗の開祖一編上人が諸国巡錫の道すがらこの地のほとりにささやかな辻堂を設けた。このころ、平塚の里漁夫たちが近頃海に物の怪が毎夜現れ、船の難が多く魔性の祟りかも.....と、一遍に魔性退治の祈願を依頼した。一遍は昼夜念仏三昧をし花水河畔を歩いていると、一体の観世音像を得、辻堂に祀ると不思議にも怪事は消えたという。開山は一遍の弟子遊行二世他真教で、江戸時代から、藤沢清浄光寺の隠居寺といわれているそうな。
●薬師院(清水の寺)
所属宗派、真言宗。小田原市の宝金剛寺の末寺。宝暦年間に、日誉法印(1652年3月25日遷化)が開山したと伝えられている。 寺中には、本尊、薬師如来と愛染、観音画像、二幅および釈迦の像が安置してある。
伝え聞くに平安朝の昔弘法大師東遊の砌、当地に立寄られ飲用水を所望されました。一人の老婆が「当地の水は金気が多いため、飲用するに適しません。少し離れた所に清水があるのでしばらくお待ち下さい。」と申しますと、大師さまは「それにはおよばない。」と辞し、その水を飲用し、暫くの間黙祷して立ち去られました。その後清水が滾々と湧き出し、村人達はそのお徳を慕って、傍らに一小祠を建立して薬師如来を安置いたしました。又、後光明天皇の御宇承応年間以前に既に堂宇が存在していたとの説もあり、微して考えるに清水湧出の因縁により清水の寺と称し、本尊薬師如来のご誓願に基づき清水山医王寺薬師院としてその規模が少しずつ拡大されましたとさ。
↓写真右下の碑の解説は以下に示します。
●北野天神社
天神様は、学問の神様として信仰され、境内には筆塚や手習い講中の建てた石塔があります。
●阿弥陀寺
報恩山来迎院と号す。 浄土宗
安貞元年、平塚庄に一寺を建立し、阿弥陀寺と号す。
文明年中 叡山の衆徒大谷祖廟破却の時阿弥陀寺の
住僧空浄碩学の聞えあるを以て其の寺をも破却すべき
由風聞あり。故に空浄寺を捨てて東浦賀に奔れり。そ
の後阿弥陀寺を浄土宗に改め今に存すと云ふ。是に拠
れば、起立は旧けれども今当寺には改宗後のことのみ
伝へたり天正19年11月寺領十石の御生印且つ境内制札
を暘へり
なんのこっちゃ?
●鷹辻場
このSPOTについては、今のところ資料が見つかりません。もう、探すあてもないので、このままアップします。地図に記載された位なので、何処かにはあるとは思うのですが...。
●宝善院
福生山能満寺と号す。本尊不動 寺宝に王一顆あり。
●妙安寺
顕応山と号す。
所属宗派、日蓮宗身延山の末寺。
昔、妙案(1656年9月19日遷化)という比丘尼
によって開基されたと伝えられている。
寺中には、本尊三宝が安置され毎月8日には、大
題目の厳修が行なわれる。
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