ここでは、通り(旧東海道)に立並ぶ碑の数々を紹介します。
本陣は、皇族・大名などが休泊する半官半民の高級旅館である。門は、東南の方にあって、乗馬のまま出入りできるよう、普通の門よりやや高く出来ていた。
記録によると、600坪の敷地にあり、建物は間口16間半・奥行38間。座敷は12畳が5室・10畳が2室・8畳が6室・6畳が7室、ほかに30坪半の板敷があり、総坪数111坪半であった。また、奥の御座所は上段の間となっていた。
平塚縮では初め西仲町に問屋場が置かれた。1635年に参勤交代が行われるようになってから東海道の交通量は激増した。伝馬負担に堪え兼ねた平塚宿は、隣接の八幡新宿への加宿を願い出、1651年にその目的を達した。
八幡新宿は、平塚宿の加宿となり、新たに平塚宿に問屋場を新設した。これにより、従来から有った西仲町の問屋場を「西組問屋場」といい、八幡新宿の経営する問屋場を「東組問屋場」といった。この両問屋場は、十日目交替で執務した。
市民センターの奥にひっそりとあります。
○ おまけ
花水橋の近くに、こんなものを見付けました。そんな訳で、おまけです。
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