● 海野宿 (田中〜大屋駅)
●●● 2004.3.5〜 with
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↑ 観光案内所のパンフより
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設され、盛時には旅籠や23軒,伝馬屋敷59軒を数えたそうです。 ここは、本当に別世界です。
宿場の東西には桝形が置かれ、その間、約6町(650m)で街道の中央に用水を引き、本陣をはじめとして旅籠屋、伝馬屋敷が並んでいた。宿場の東端には白鳥神社があり、中世の頃海野郷を支配していた豪族海野氏の氏神であった。
現在残されている町並みには、出梁造りの旅籠屋「海野格子」と呼ばれる2階の出格子、卯建のある江戸時代の建物等が現存し、それと供に明治以降の養蚕、蚕種業が盛んなりし頃に造られた櫓のついた蚕室造りの建物にも宿場時代の伝統的な形式が受け継がれ、調和ある町並みを造り出している。
★ 田中駅
海野宿は、しなの鉄道の 田中・大屋駅の中間辺りにあります。 今回は田中駅から歩いてみます。 |
★ 白鳥神社
この神社は古代天皇の命を奉じて東征の途についた日本武尊が、この地に滞在されたことから白鳥神社と稱し古代から中世の豪族、海野氏の祖と云われる貞元親王・善淵王・海野広道公を祭神としている。
従古より本海野の住民を始め近郷近在の人々より産土神として崇敬の念をあつめ、春と秋には例大祭が行なわれるそうだ。
★ 媒地蔵(縁結地蔵)
「むかし加賀の国のお殿様に年頃の姫がおりましたが、なかなか良縁に恵まれませんでした。ある時縁結びのお地蔵さんが海野にあると聞いて参勤交代の道中にお参りしたところ、姫は立派な男性にめぐりあい、結婚することが出来お殿様も大変お喜びになられたという」 こんな逸話があります。 海野氏の家臣、赤石藤治友信が媒地蔵菩薩を小庵に安置したことに始まる。創建年不詳、天文年間に衰退寛永2年に中興開山、地蔵寺と称した。元禄4年この地に移転再建された。昭和26年焼失、まもなく廃寺となった。 江戸時代には北国街道を通行する多くの人々、海野宿にゆかりのある人々に心の支えとして、また心のよりどころとして厚く信仰されたというこの文化財を惜しむ声があり残った山門、常夜灯脇に新たに建立したもの。 |