■ 9月2日〔火) スケジュール
  0:25 平塚  → 小田原   0:42     JR
  1:04 小田原 → 大垣    6:56     JR  ムーンライトながら  
  7:01 大垣  → 米原    7:37     JR
  7:49 米原  → 高槻    8:56   JR
   ×××××× 高槻観光 ××××××××

  13:23 高槻  → 大阪  13:59   JR
   ×××××× 大阪観光 ××××××××



● ムーンライトながら
 相変わらず「ながら」車内は一杯だったが、座り込める程度の場所は確保できた。近くの女性二人組などは、ちゃっかり寝るスペースを確保。二人が「リの字?」になって通路で寝ていたら、明け方に車掌に注意されていた。

×××××× 高槻観光 ××××××
● 高槻駅
えき

● 高槻カトリック教会
高槻カトリック教会
 1614年にフィリピンへ追放され、翌年マニラで没した高山右近を記念して建てられた教会で、マニラの聖母大聖堂を模して建てられている。門を入って左手には、イタリアの彫刻家ニコラ・アルギィニがイタリア産大理石を刻んだ高山右近像(写真右)がある。

● 藤井竹外邸跡
 藤井竹外は幕末の高槻藩士で、儒学者の頼山陽を師と仰ぎ、漢詩人として名を残した人。とりわけ七言絶句では右に出るもの無しと謳われた。


● 野見神社
野見神社
 宇多天皇の時代(887〜897年頃)に創建された古社で、高槻城内にまつられて歴史城主の信仰厚かったところ。ただし、高山右近だけは違い、キリスト教布教のために社殿を破壊してしまった。そのため一時京都の石清水神社へ移されていたが、1649年に入城した永井直清が再興している。

● しろあと歴史舘   開館 10:00〜17:00 
しろあと歴史舘
 近世の高槻をテーマに、平成15年3月、高槻城三の丸跡に開館。展示室では、江戸時代の高槻を資料や映像・模型などで紹介している。

● 城跡公園
城跡公園
 高槻城の跡に造られた公園。高槻城は、南北朝時代に足利尊氏の命で駿河の入江春則が築いた城が始まりだとされている。1569年に織田信長の臣和田惟政が入城したが、わずか2年でキリシタン大名の高山右近に破れて代替している。築城の名手だった右近は城と城下の町割を行い、それを徳川幕府が受け継いで1617年に大改修を行なっている。城主は何代か代わったが、1649年に永井直清が入城して以来、永井氏13代が城主となり、明治を迎えている。城は明治7年(1873)に取り壊され、石垣の石は鉄道の敷石に利用されてしまった
・高槻市歴史民族資料館(写真右下)   開館 10:00〜17:00 
 市内に残る民俗資料などを収集・展示し、郷土の生活文化を学ぶ場として昭和57年7月に開館。建物は、江戸時代中頃の商家・笹井家住宅を移築復元。館内では、郷土の暮らしなどを知るうえで貴重な農具、漁具、寒天製造用具などの民俗資料を展示している。

● 八幡大神宮
八幡大神宮
 野見神社とともに高槻城の守護神として、歴史城主の厚い信仰をうけていた。もちろん高山右近だけは例外で、野見神社と同じく焼き払ったという。

● 本行寺
本行寺
 日蓮宗の古刹で境内に富士井竹外の墓があることで知られている。

● 理案寺
理案寺
 1619年松平家信が高槻城主となり、当寺で夫人の菩提をとむらいました。息子康信の代にも寺領や鐘楼などの寄進を受け、松平氏の菩提寺として繁栄したといわれます。

● 八丁松原碑
八丁松原碑
 八丁畷交差点から北に延びる道の東側に松並木が続いている。1649年に高槻城主 永井直溝が京口から西国街道まで八丁(900m)の道を整備し、数百本の松を植えたもので、その美しい景観から「八丁松原」と呼ばれ、高槻の名所となった。しかし、虫害と排気ガスのため、今では阪急電車の線路を挟んだ両側に造られた松原公園に、かろうじて面影をとどめている。

● 能因法師墳
 田んぼの中にあるこんもりした森が、能因法師の墓だと伝わっている。能因は、平安中期の歌人で、36歌仙の一人。女流歌人・伊勢の作風を慕い、伊勢が晩年を過ごした古曽部に移り住み、この地で没したといわれる。
 墓の正面には1650年に高槻城主 永井直溝が立てた顕彰碑がある。その碑文は、儒学者林羅山のもの。


●能因法師文塚・負老水
文塚・負老水
・能因法師文塚(写真左)
 墳墓の北側のあぜ道に文塚が立っている。死を前にした能因が、自分の吟稿をここへ埋めたと伝わっている。
・不老水(写真右)
 さらに北に少し行くと、能因法師もお茶に使ったという名水「不老水」がある。今もコンコンと湧き出ているが、衛生上生水は飲めない。

● 伊勢寺
 この寺の手前でカメラのアイピース(レア物なのです。)を紛失したことに気付く。慌てて来た道を戻るが、見つかることはなかった。(能因法師墳まで戻って諦めた。)時間をロスッただけでなく、結構痛い損害であった。
伊勢寺
 能因が慕った女流歌人の伊勢が晩年を過ごした住居の跡に建てた寺で、境内には伊勢の眠る廟堂も建っている。伊勢は36歌仙の一人で、美貌の歌人として知られ、宇多天皇の寵愛を受けた人。天皇が崩御してからはここに隠棲したという。

● 乾性寺
 1619年創建と伝わる古刹で、幕末の漢詩人藤井竹外の墓があることで知られている。

 
● 昼神車塚古墳跡
 6世紀の中頃に造られたという全長60mほどの前方後円墳。昭和52年に猪や犬、狩人などの珍しい埴輪が発掘された所として知られている。墳丘部に埴輪のレプリカが置かれている。

● 上宮天満宮
上宮天満宮
 学問の神・菅原道真をまつる神社で、細長い境内の奥に社殿が建つ。「北山の天神さん」と呼ばれ、合格祈願に訪れる人が多いそうだ。

● 霊松寺
霊松寺


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 高槻駅 → 大阪駅(大阪へ向かいました。)

● お初天神
お初天神
 ビルの谷間にある古社で、正式には露天神社といい、菅原道真ら5神がまつられている。1703年にお初と徳兵衛が心中し、これをモデルに近松門左衛門が「曽根崎心中」を発表してからお初天神と呼ばれるようになった。

● 太融寺
太融寺
 821年に嵯峨天皇の勅願で弘法大使が開き、皇子の源融が七堂伽藍を建立したと伝わる古刹。芭蕉句碑(写真右)等もある。

● 大阪天満宮
大阪天満宮
 949年に村上天皇の勅願で創建された古社で、学問の神・菅原道真をまつっている。本殿は1845年に再建されたもの。
 

● 宿へ
 予定ではこの後造幣局を周り、大阪城へ抜けるつもりだったのだが、天満宮へ行く途中道に迷ってタイムアウト。(満天の街とかいうアーケードを行ったり来たり。→方向が約90度狂っていた。)高槻でのハプニングも大いに手伝った。


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