9月7日〔土) 広島 〜 柳井〜大阪? 

        広島散歩
 09:26 広島  → 柳井  10:47     JR
        柳井観光
 14:10 柳井  → 岡山  18:02     JR   
 18:04 岡山  → 姫路  19:24   JR
 19:45 姫路  → 大阪  20:44   JR
 20:48 大阪  → 新今宮 21:07   JR

●広島散歩
 「はだしのゲン」って知ってるかい? 実はこの作者、本当に原爆を体験してたんだ。で、この著者が、その裏話等を書いた著書がある。当時の役人やアメちゃんの非道な話など、信じられないような話が次から次へと綴られている。興味のある人は読んでみると良いと思う。
 さて、この人のお父さんは、あの戦時中にあって反戦論者だったという凄い人で、後にそのグループを讚え、記念碑が建ち、その個人名まで刻まれたとの事である。中沢さん(著者です)は、その事に対し「何を今更」と、怒りの対象にこそすれ喜ぶことは全く無かったが、一応それの存在を確認していた。
 実はこの本を読んでから、私もその碑を見てみたいと思っていた。そんな訳で、平和大通りの何処かにあるという「無名戦士の碑」を探してみる事にしたのです。
 駅前通り辺りから、原爆記念公園に向けて探し歩く。しかし、別の碑ばかりで目標物は全く見当たらない。平和大通は、幅100mで、車道の両側に緑地があるという大変広い通り。なので、「見落としたのではないか」とゆう不安が常について回った。平和大橋を越えた頃、私は殆ど諦めかけていた。全長4038mのどこかを探すことなど、単なる無謀に思えてきた。
 そして、そろそろ引返そうと思った時、それは見つかった。訳の解らない感動がよぎっていった。 しかし、碑の何処を探しても「中沢晴海」という名前はおろか、関係者の名前一つ見つけること出来なかった。不思議である。
 碑と城
 左は苦労の末やっと見つけた記念碑。右は、昨年補修中でその姿を見れなかった広島城の天守閣。電波少年の鮒子が野宿したという平和公園は素通りした。

●白壁の町並み 柳井
柳井 地図
 広島→大阪の移動の間に何処に寄ろうかとガイドブックを眺めていると、柳井の項目が目に入った。「白壁の町並み」何となく魅力的。よし、柳井へ行っちゃえ!(反対方向だけど..)
 柳井
 松本清張の「花実のない森」の舞台にもなっている古市・金屋地区には、室町時代からの町割りがそのまま今日も生きており、約200mの街路に面した両側に妻入形式で本瓦葺、入母屋型の屋根をもつ江戸時代の商家の家並みが続く。
 また、この町並みは、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 とのことです。

○宝来橋
 1680年頃にかけられたこの橋は、柳井川にかかる橋のうち最も古く、交通の起点として栄えた。左岸の橋のたもとには、今から300年前の船着場の石段や町並みを火災から守る火伏地、灯台の役目を果たした沖見堂石灯なども残っているそうだが、何も気付かずに通り過ぎてしまった。

○佐川醤油蔵   見学無料
 鉄道唱歌にもうたわれた甘露醤油が柳井で生まれて200年あまり、伝統が息づく醤油蔵の一部が資料館として公開されているそうなのだが、別のところを見て見学不可と判断。後で、探した場所が違った事が判明した。つまり、行きそこねました。

○国森家住宅   入館200円
 国森家住宅
 灯油・びん付け油の製造販売を営んだ森田家が1768年に建て、のちに国森家の所有となった家で、典型的な柳井豪商の家として重文に指定されているそうです。

○町並み資料館
 入場無料の上、柳井の観光案内所を兼ねている。疲れた足と、汗だくの体を冷やすのに持って来いの場所です。
 町並み資料館
 この建物は、周防銀行本店として1907年に建築されたもので、当時の銀行の重厚な姿を今日に伝える、日本でも数少ない建物の一つだそうです。

○商家博物館むろやの園   入館350円
 広い広い。入口からは想像も出来ないほど中は広い。当時の金持ちは、かくあったのかと実地で体験できました。
 むろやの園
 50隻もの帆船を抱え大阪から九州、五島列島まで商圏を広げた小田家(屋号=室屋)は、柳井の町の中でも一、二を競う大油商人であった。この家は1732年頃に建てられ、母屋や蔵には小田家代々の生活用具、古文書、美術品などが展示されているそうだ。

○湘江庵   境内自由
 
 柳井の地名はこの寺の境内にある柳と井戸に由来すると言われる。
 今から約1400年前、越後の国に住んでいた満野長者の娘、般若姫は、橘豊日皇子に迎えられて上京の途中、姫が水を求めてこの津に立寄り、ここに湧き出る清水を飲まれ、傍らに柳の楊枝をさされたところ、一夜で芽を吹いた。・・・それからこの泉を「柳の下の井戸」とよび、この地を「柳井」と呼ぶようになったという。
 般若姫は絶世の美人だったことから、この水を飲むと美人になれる? とも言われているらしい。

○光台寺桜門  立入不可 
 手を叩いてみたが、何も起こらなかった。??
 光台寺桜門
 一風風変わりなこの桜門は、中国明朝様式を模したもので、明治2年の再建である。桜門の下で手を叩くとワンワンと反響することから「わんわん寺」とも呼ばれているそうだ。

○国木田独歩旧宅  見学自由
 写真右の格子の向こうに、独歩の写真や遺品などの展示が有ります。
 国木田独歩旧宅
 自然主義文学の先駆者といわれる国木田独歩が、22〜24頃歳まで住んでいた家で、明治25年に市山増太郎が独歩一家の為に新築したもの。独歩はここで「少年の悲哀」を書いたという。現在、庭の中央から一段高くへ移し、記念館として保存されている。とのこと。

○普慶寺   境内自由
 普慶寺
 ここは、831年創建と伝わる真言宗の古刹で、1550年にこの地に移り、再興された。本尊は、大内弘貞が奉納した鎌倉初期の銅造千手観音〔秘仏)で、のちには岩国藩主吉川氏の信仰も厚かったそうだ。

○長岡外史碑  
 長岡外史碑
 日露戦争で参謀次長を務めた長岡外史は、1856年、ここにあった野村家で生まれたそうだ。碑には、「日本航空界とスキー普及の恩人長岡外史ここに生まる」と刻まれているらしい。

○柳井天満宮   境内自由
 柳井天満宮
 昭和51年に大改修された門や社殿の彩やかな朱が印象的な神社。
 1689年に吉川氏の命で大阪天満宮に参拝した豪商貞末宗故が、木履の歯にはさまった菅公像を持ち帰り、1697年に社殿をたててまつったと伝わっている。とのこと。

○瑞相寺   境内自由
 瑞相寺
 1516年創建の浄土宗の寺。境内と墓地には、柳井の豪商や 先覚の句碑と墓碑があるそうです。

●昼食
 駅に戻ったが、まだ時間があったので、付近の食堂で遅い昼食。焼きそば入りのお好み焼きは、かなりの大きさであった。
 ここでは見学し忘れた所が無いかチェックするつもりだったのだが、食べ終えた頃には忘れていた。

●大阪
 JRを延々と乗り継いで大阪に到着。今日は実質、移動日である。京都まで行かなかったのは、大阪に安宿があるからでした。
 


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