●Time Scadule
17:39 東萩 → 長門 18:17 JR
18:24 長門 → 下関 20:18 JR
22:56 下関 → 岡山 04:10 JR(ムーンライト九州)
●ホテル
朝、外は曇り。なんとなく、お天気は持ちそうだ。ホテル1階の貸自転車屋へ行く。と、店の前に、「定休日月曜」と書いてあった。荷物を整理した後、フロントで聞いてみると、
「宿泊者には、無料で貸します。」
と、うたい文句通りの返事をしてくれた。 一泊5000円もする高級ホテル(本旅行では、最も高価)に泊まった甲斐があったというものだ。さらに、この自転車は、サービス品にも関わらず、きっちりと整備されていた。
●萩反射炉
近世の反射炉で現存するのは、伊豆の韮山に築造されたものとこの2基だけで、我が国の産業史上、貴重な遺跡であるとともに、萩藩の幕末における軍備充実の熱意がうかがわれる。
国の史跡に指定されている。 ....らしい。
ホテルを出るなり、早速道を間違えた。それでも、何とか反射炉にたどり着く。何だか、とても懐かしかった。
萩の街は、高校の修学旅行以来である。当時、この反射炉を写真に撮るため、線路を越えた記憶があった。ちなみに、現在の装備では、(50mm一本しか無いのだが)そんな必要は無かったが。
東光寺は、元禄4年に3台藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗の寺院で、大照院とならんで毛利家の菩提寺である。 ...とのこと。
「それらしい写真」および「行ったというチェック」はあるのだが、この場所は、全く記憶に無いのであった。
●吉田松陰墓所
この付近は、吉田松陰の誕生地、墓所の外、門人の高杉晋作などの墓も立ち並んでいる。
●伊藤弘文旧宅
木造茅葺き平屋建て、29坪の小さなもので、萩藩の中間水井武兵衛の居宅であったが、安政元年に博文の父林十蔵が一家をあげて伊藤家に入家し、ここに居住することになった。国の史跡に指定されている。 とのこと。
旧宅 別邸(陶芸家協会展が催されていた。)
●松影神社 松下村塾
あまりに複雑で長い解説が必要になりそうなので、省略
●桂太郎旧宅付近
藍場川周辺は、単に景色が良いだけでなく、桂太郎(明治維新後、3回にわたって内閣総理大臣を勤めた)の旧宅や、旧湯川家屋敷などがある。
藍場川 旧湯川家屋敷
桂太郎旧宅は、結局、見つけることが出来なかった。「ガイドブック」によると、ここと、旧湯川家屋敷には、シルバーガイドが常駐しているそうなので、また来る事があれば、ぜひ、中で説明を受けたいと思う。
●明倫館跡周辺
明倫館は、江戸時代中期の享保4年藩主毛利吉元が城内三の丸に創建、幕末の嘉永2年毛利敬親がこの地に移した。 ...そうだ
明倫館 水練池
一見、「ただの学校」に見えたため、明倫館と認識するまでに時間がかかった。
●鍵曲
城下に進入した敵を迷わせ、追いつめる為の工夫。左右を高い塀で囲み、道を鍵の手に曲げて迷路のようになっている。 とのこと。
こういう所を歩くと、「萩は、町そのものが歴史公園だ」とつくづく思う。さりげなくある塀や家など、全てが歴史的遺産である。
●村田清風別宅跡
清風は9代斉房から13代敬親まで5代の藩主に仕え、藩政の改革につくした。その要職にあった25年間、この別邸に住んでいたそうだ。
●旧二宮家長家門
●口羽家
1018石余の寄組士の家で、この門と母屋が重要文化財となっているそうだ。
私一人のために、ガイドさんは丁寧に説明してくれた。その説明はゆく川のごとくとどまらず、萩の歴史の奥深さを思い知らされた。もし次回があれば、また来よう。その時は、もう少し勉強してきますね。
●萩城跡 8:00〜18:30(4〜10月) 入園料 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋と共通で210円
2代輝元は、広島から萩へ本拠を移し、慶長9年から4年がかりで萩城を築いた。
指月山の山頂にある詰丸跡まで歩いたが、遠かった。私が登るのをみて後をついてきた家族がいた。その子供たちは、私の後方で悲鳴を上げながら登っていた。
●旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 9:00〜17:00
毛利氏一門元家の第3席で、厚狭に知行地を持っていた厚狭毛利氏の旧宅。
萩城跡と入場券がセットである。
●萩資料館 9:00〜17:00(3〜11月) 参観350円
館内には、藩政時代から明治時代にかけての文化遺産がずらり並ぶ。歴代藩主の書簡や絵画、武具など貴重なものも多い。...そうなのだが、よく解りませんでした。
●旧周布家長家門
1530石余の大組士だった周布家の長家門。約25mもの長い建物だそうだ。
●高杉晋作誕生地 8:00〜17:00(4〜10月) 参観100円
倒幕運動の急戦鋒として活躍した高杉晋作の生家。旧宅内に、晋作の写真や書などが展示され、邸内には自作の句碑や産湯に使った井戸があるそうだ。
この場所を探して、ぐるぐる回った。台風の影響か、小雨が降ってきた。だんだん不安になる。いい加減疲れ、諦めようとかと思ったとき、その場所は現れた。私は、「あったあ!」と小さな声で叫び、その場所に立ち止まる。近くを歩いていた中年夫婦が、私を見て立ち止まり、私と同じ方向を見る。そして「あったあった」と嬉しそうに中へ入っていった。辺りを見回すと、その道には、そこを探しているらしい人たちが、ちらほら見えた。 人間、目前の電灯の傘には、気づかずに、ぶつかってしまうものなのか?
ぶつかったのは、目的地だけではなかった。喜んで、”中に入ろう”としたとき、私は階段を踏み外した。ヒザと、カメラの底部が、石の階段にぶつかった。足はかなり痛かったが、カメラの傷の方が、精神的に痛かった。
中に入ると、参観は終わっていた。つまり、(道に迷ううちに、)時刻は5時をすぎていた。
●岡山へ
ホテルに戻る。フロントに、台風の情報を聞く。と、
「大丈夫ですよ! 和歌山の方に行きました。」
というので、
「そうですか。有り難うございました。」
と、ホテルを出た。 全然よくない。これから向かうのは、四国なのだから。
あと1日ここにいれば、台風問題はなくなるでしょう。しかし、ムーンライト九州は、明日では乗れないのです。(つまり、全指定となる。)電車が止まらないことを祈りつつ、下関へ向かった。
●萩観光を終えて
何か変だ。何か忘れている。と思っていたが、家へ戻り地図を見て理解できた。笠山へ行き忘れていたのであった。
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