●Time Scadule
8:00頃 南浦洞 → 大宗台 8:30頃? バス 600W
大宗台周遊列車(プピー号) 1500W
大宗台 → 南浦洞 昼頃 バス 600W
南浦洞 → 釜山港 3:30頃 徒歩
3:40頃 釜山港 → 中央公園 4:10頃 徒歩
4:15頃 中央公園 → ホテル 4:48頃 徒走
4:50頃 ホテル → 釜山港 500頃 地下鉄(南浦洞→中央洞)600W
●大宗台
早朝、ホテルをチェックアウトし、荷物だけ預けてバス停へ向かう。ついでに近くのセブンイレブンで朝食を買った... ら、早朝から屋台が出ていて、あの、おいしい「おでん」が売っていた。ざ、残念であった。
大宗台は、南浦洞のバス停から、バスで30分位だと思った。実は、8番のバスを見つけて、飛び乗った所までしか覚えていない。そういえば、乗車時に、料金の払い方が解らず、運転席付近であくせくすしてしまった。らちが明かないと思ったのか、運転手が、「とにかく乗れ」と手で合図した。我々は、それに従った。席に座り、「まるごと釜山」で乗り方を調ると、市内の一般バスは、料金均一で600Wの、先払い方式と解った。大宗台に着いた。運転席に行って600Wを払い、運転手にお礼を言いながら降車した。運転手は、笑顔で返してくれた。
大宗台の入場料は400W。しかし、この日は独立記念日で、無料開放されていた。(こんな日に、日本人が「のほほん」と、韓国に滞在している事。ひょっとして、少々危なかったのかしら?)少し歩くと、周遊列車が見える。直ぐに発車する様子なので、乗車することにした。この列車(プピー号)、子供向きに外観が出来ており、普通に乗るにはちょっと恥ずかしい格好である。しかし、性能の方は良いらしく、何両も連結しているにも関わらず、急なカーブを、脱線もせず、見事に走りきる。
しばらくすると、ある停留所で乗客がゾロゾロ下りだした。真似して、我々も降車する。灯台付近の停留所である。そこから、集団の後をついていった。そして、その先には、見事な大自然が待っていた。そこは、一歩間違えると海へ真っ逆さま。日本なら、ロープを張ってしまうだろうが、ここは、景観優先であり、自然のままであった。
●再び南浦洞
帰りのバス、私は窓からの景色を眺めていた。高架道路を降りると、見慣れた釜山タワーが見えてきた。なにげなく
「おお! 釜山タワーだ」
私が言うと、彼は慌てて
「何でブザーを押さないんですか? 私の横にはボタンが無いんですよ!」
と叫んだ。私は数秒考えて、「あっそうか!」と現状を把握する。そして、ブザーを押した。
「気付いてたのなら、席を立ってでも自分で押せばいいだろ?」
口には出さなかったが、何か納得いかなかった。
お昼頃、ホテルの近く
韓国へ来て、初めて、焼き肉を食べた。彼は、珍しくもレストランの下調べをしていたのである。
以前、会社の同僚で凄い奴がいた。彼には、「言葉の壁」などというものは無縁であろう。なぜなら、彼は、話さなくても通じてしまうのである。この「通じる」という現象は、多くの場合大きな勘違いであることも多いのだが、彼の的中率は、ほぼ完璧であった。(残念ながら、今私の目の前にいるのは、その逆のタイプと思われる。)
食事の注文は、当然のごとく彼に任せた。しかし、彼の注文を、給仕は理解してなかった。また、給仕からも提案も、彼は理解していなかった。 例えば給仕が、
「ビールは如何?」
と日本語で聞いてきた。そのとき、彼は、
「クーラーが弱いですか?」
と聞かれたと思っていた。
「どうしてそう言ったと思うの?」
と聞くと
「なんとなく」
うーん。これは、ある意味で、大者である。
まあ、とにかく、韓国で初めて食べた焼き肉は、とても美味であった。
同行者は、「かばん」と「くつ」を買うべく、街をさまよう。が、買う気配はまるでみられない。どうやら、店先に気に入るモノが無いらしいのだ。
「とりあえず、聞いてみたら?」
というと、しばらくして、諦めたらしく、かばん店の呼び込みのおじさんと話しだした。彼が希望を言うと、おじさんは、奥の方から色々な「かばん」を持ってきた。その中の一つが、やっと彼の眼鏡にかなった。
彼は、買い物モードに入った。それは、凄かった。まるで、活性化エネルギーを越えた化学反応のごとく、買いまくっていた。(昨日の、眼鏡屋の私のよう?)そして、その勢いに乗ったまま靴屋へ行き、靴とサンダルを買った。
靴屋の店員は、商売上手であった。実は、私も少しは「その気」があって、捨ててもいいような、ぼろ靴を選んで、この旅行に望んでいたのである。彼が靴を買っている間、私は値段をチェックしていた。彼の相手をする合間、店員は、私にも靴を勧めた。そして、彼の相手が終わりかけると、ターゲットを私に移した。値段ばかり気にする私に、店員は安い靴を勧めた。しかし、それなりであり、今一つしっくり来ない。また、値段的に見れば、日本と大差ないように思えた。
そんなこんなするうちに、私は1足の靴が気になった。それを指さし、値段を聞くと、店員の顔色が突然変わった。かなりの高級ものだったらしい。私は再度値段を尋ねた。店員は、
「とにかく履いてみてください。」
といい、値段をなかなか言わない。そして、私に合うサイズの靴を選びだし、履かしてくれた。なかなか、具合はいい。 しかし、値段は、やっぱり高かった。定価88000Wで、売り値50000W(約5千円)と言う。 何でも、これは、輸出用モデルで、国内(韓国)出荷用のものとは、品質レベルが違うんだそうだ。
「あなたのPUMAは中国製、けれど、これは韓国製。品質レベルが全然違う。」
と自信満々。この靴を履かされてから、店員は、安い靴を一切勧めなくなった。
とりあえず、値段交渉してみると、
「私の取り分ほとんど無くなるけれど、45000Wでいい。折角ここまで来てくれたんだから、ぜひ、買っていって下さい。」
と言われた。営業Talkには違いないのだが、なんか嬉しい。その靴を、「以外と気に入ってしまった」のと、「一生懸命応対してくれたこの店員さんから買ってあげたい」と言う気持ちが突然強くなり、高いんだか安いんだか解らなかったが、つい、購入を承諾してしまった。すると、さらに店員さん。私のPUMAを指さして、
「こっちの靴は、捨てといてあげます。」
と、気を利かせてくれた。(笑) 丁重に断り、(万一に備え)持ち帰る事にした。店員さんは、古い靴を、真新しい袋に入れながら笑っていた。(ちなみに、この袋が、旅行の最後まで役立った。)
結局私は、靴を買いに来た彼よりも、高い靴を買ってしまった。
まあ、履き心地は良かったので、「良し」としようか。
買い物を終えた後、私は提案した。
「ここでホテルへ戻らず、先に港へ行って搭乗手続きをすれば、搭乗時刻まで、つまり、あと1時間は遊べるよ。」
靴が新しくなって、足取りが軽くなったせいもあっただろう。提案するほうも、するほうだが、承認するほうも、するほうだと思った。
●中央公園(大庁公園)
搭乗手続きを終え、〔この時、利用料の1100Wを、お忘れなく。)港を出、少し歩く。はるか彼方の丘の上に、中央公園が見えた。そこは、私が密かに目指していた最終目的地である。搭乗開始時間までには、1時間と少しある。しかし、あまりの遠さに、かなり悩んだ。
結局、おじいさんは、丘へ観光に、おばあさんは、町へ買い物に出かける事となった。(16:45にホテルで待合せ)
丘の頂上は遠く、険しかった。日本で例えれば、後で行くことになる「金比羅さん」程度であろうか。何とか頂上に着いても、あまり喜びは無かった。むしろ、焦りの方が多かった。なぜなら、今から30分以内にホテルへ戻らねばならないからだ。その行程、半分走っていた。
忠魂塔は、祖国のために戦った戦士達の魂を祀っている所だそうだ。
ところで、知らなかったとはいえ、独立記念日に、こんな所に日本人が来ていいのかしら?
そう言えば、記念碑の下に座っていた韓国人が、変な顔をして私を見ていたような...いや、自意識過剰か??
予定時刻を3分程遅れ、肩で息をしながら、ホテルに飛び込んだ。彼は、ロビーでくつろいでいた。あまり買い物はせず、休んでいたそうな。
ホテルを出て、コンビニに入り、最後の買い物をする。ほとんどウォンを使い果たした私は、あまり物を買う事が出来なかった。欲しい物(例えば、フィルム)は、色々あったのだが...。
店を出、港まで歩いて行こうとする私に、彼は、気前よく600W(約60円)を差し出して言った。
「荷物もあるし、疲れたし、最後だし、地下鉄で行こうよ。」
私は、財布に残っていた120Wだけ彼に返して、承諾した。ところが.......。
彼は、駅構内で切符を無くした。どうするか見ていたら、周りに「駅員がいない」のをいいことに、彼は、改札のゲートをくぐって抜けた。 彼の土壇場での底力には感心した。
釜山の街は、彼との別れを惜しんでいたのだろう。最後の最後まで、「思い出」の奉仕に余念が無かった。
●帰国
我々は、日本で往復切符を購入した。つまり、片道8500円×2である。ところが、釜山からの復路の切符には、75000W(約7500円)と書いてある。つまり、往復切符を買うと、約1000円損する計算になる。帰りの予約が取れない可能性もあるが、より安くを求めるならば、帰りの切符は釜山で買うべきであろう。
ちなみに、韓国では往復割引があるが、日本では無い事も判明した。(せこい話ですみません。)
釜山の免税店は、日本のそれよりは大きかったが、やっぱりフィルムは売って無かった。また、買い物客もまばらであった。さらに、船内の免税店でもフィルムは売切れであった。
帰りの船室は1階で、行きの2階よりも揺れが少なかった様に感じた。ただ、近くのオジサンが吸う煙草が煙かった。ぜひ、禁煙席を設けて欲しいものだ。
明朝、船の上から見る日の出は、とても奇麗だった。 が、相変わらず、カメラには、フィルムが入っていなかった。
私のPUMAは、船内で履きつぶされ、最後の役目を終えた。それが入っていた紙袋は、何故か増殖してしまった荷物のうち、軽いものが収まっていた。
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