●いみぐれーしょん

 船の中でぐだぐだしていたら、さっさと下船せよと追い立てが入った。荷物をまとめ、下船し、入国審査を待つ。そこは、先に降りた人たちで、ごった返していた。短い列に並んだつもりが、なぜか、最後になる。しかし、その後には、韓国の人達が控えていた。どうやら日本人を、優先して入国させてくれている様だ。「日本人の方は、早く下船してください!」と追い立てられた訳が、理解できた。

●釜山港

 釜山港を降りると、両替所と観光案内所がある。両替は、ここで済ますのが無難である。町中では、両替を行うところは少なく、(EXCHANGEの看板は、ついに、帰るまで見つけられなかった。)あっても、レートが良くないようだ。円が使える店も多から、問題ないといえば、問題ないのだが、勿論、レートは良くない。
 観光案内所も、重要なポイントだ。(何しろ、これからの予定が決まってないのだ)ここで、地図やガイドブックをあさった。日本で得られる。「るるぶ」や「マップル」あたりよりも、新しくて、役に立つ情報が、「無料」で手に入る。中でも「まるごと釜山」は、お奨めである。

●ホテル

 さて、先ずは、ホテルを探さねばならない。突然の訪釜なだけに、予約など入れている筈もない。で、目をつけていたホテルへ行き、フロントと交渉を始めた。
 しかし、韓国のフロントは変わっていた。
 「Do you have a room tonight?」
 と聞くと、変な顔をしている。構わず、
 「We`d like to get one twin room or two single room tonight and next night.」
 と言うと、やはり変な顔をしている。
 仕方なく、紙に "1 twin room or 2 single room" と書くと、"2 single room" の "single" に×をつけ、"double "と書いてきた。どうやら、とりあえずは、部屋がある様だ。何だかんだで一泊一人48000Wで交渉がまとまり、荷物を置いてホテルを出ようとした。
 その時、向こうから日本人がやってきて、そして、フロントに話しかけた。
 「もう一晩泊まりたいけど、部屋、空いてる?」
 ............。...............。.............。  なんだ。日本語、達者じゃないか........。
 しばらくは、恥ずかしくて、誰とも しゃべる 気がしなかった。
  龍頭山公園からみるホテル

●龍頭山公園

 ホテルのすぐ近くの階段(エスカレーターもある。)を上った所にある。そこには目立つタワーもある。(これを目指せば、ホテルにたどり着ける。方向音痴の私には、実に安心のホテルであった。また、ホテルを決めた後に思ったが、このホテルは、ロケーション的に、かなり良好であったと思う。 レベル的には、日本で言えば、7000円位のビジネスホテル辺りであろう。「もう少し高級な方がいい」という人は、少し離れた所に「フェニックス」がある。)
    
 公園を周り、ベンチに座った。さて、これから、どうしようか?
 船の中で、私が渡した韓国の資料に見向きもせず、コンピューター購入のガイドブックを読んでいた彼は言った。
 「明日は、慶州へ行きたい。」
 明日は決まった。今日は?
 「チャガルチ市場」と「国際市場」かなあ?
 一応は、考えているようだ。最も、彼とは数分後にはぐれるので、予定を聞く必要など無かったのであるが......。

 公園の下り口まで歩いていくと、見知らぬ おじさんに、日本語で声をかけられた。(つれは、出口付近に掲げられている、観光地図を眺めている。)過去の例で言うと、外国で、日本語を使って話しかけてくる人(あるいは、May I help you?)には、ろくな奴はいないのだが、面白そうなので、話だけ聞いてみる。結局、このおじさんとは、数分、たわいない話をして、別れた。 ただ、この数分のうちに、連れは、いなくなった。

 公園を2周し、階段を2往復した。が、彼はいなかった。その間、さっきのおじさんの前を通る事もあった。おじさんはこっちを向いて手を振っている。
「うるさい。そんな暇はない。」
 心にゆとりの無くなった私は、胸の中でつぶやいた。
 結局、仕方なくホテルへ戻り、「3時、又は5時頃に、ここで待つ」と書いたメモを、彼のかばんの上に置き、街に出た。(今思えば、こんなメモ、置いとかなきゃ良かった。)

●南浦洞(チャガルチ市場〜国際市場?)

 ホテルの周辺からすでに商店街が広がっていた。まず、近くのコンビニで、フィルムや飲み物を買う。(カメラに、ようやくフィルムが入りました。)そして、チャガルチ市場を目指して歩いた。ホテルの周辺は、広大な商店街であり、歩いていて飽きることはない。で、適当に歩いていると、黄色い商店街にぶつかった。そこは、今回の訪釜最大の目的地、「眼鏡屋街」であった。予定外に見つけてしまった眼鏡屋街であるが、来てしまったものはしょうがない。敵情視察とばかりに一通り眼鏡屋の前を歩いた。
 さらに適当に歩くこと数十分。チャガルチ市場に到着した。あたりは(当然だが)魚だらけであった。見慣れぬ魚、生きてる魚、魚、さかな、サカナ。確かに物珍しいのだが、だからといって、「どないせいいうねん」買っても困るし、料理してもらっても食べきれないだろうし。
 悩みつつ、市場を後にした。さあ、次は国際市場だ。と、その前に、目印のフェニックスホテルを探そう。
 それは、簡単には見つからなかった。デフォルメされた地図で示された辺りをぐるぐる周る。そして、小一時間もしたころ、それは見つかった。そこは、さっきから何度も通り過ぎた場所であった。ホテルの1階はホテルらしくなく、そのため、全然気付かなかったのだ。手の中には、(同じ人からもらった)チラシが、3枚も溜まっていた。
 それからは、何を目的に、何処をどう歩いたか、よく覚えていない。

●またホテル

 3時を5分過ぎた頃、ホテルに着いた。 彼は居なかった。メモを見た形跡も無かった。
 しばらく休んだ後、「慶州」の事をフロントに訪ねる事にした。ホテルではよく、観光ツアーを斡旋しているからである。(勿論、今度は日本語で質問した。)
 フロントによると、(観光客が少なくなったせいか?)今では、もう、ツアーはやってないそうだ。タクシーで行くとすると、2万円位(慶州観光付)だろうと教えてくれる。全然参考にならない。もう一度、観光案内所へ行かねばならないのか......。
 次の待ち合わせ時間の5:00を5:10に書き直し、ホテルを出た。

●ふたたび龍頭山公園

 龍頭山公園に上る途中に、小さな公園がある。その片隅に座り、船で食べきれなかったパンをかじりながら、休んでいた。
 そこへ、物静かげなおばあさんが
 「日本の方ですか?」
 と、話しかけてきた。しばらくおばあさんの会話につきあう。 彼女は戦争中、日本の「静岡」に住んでいたそうだ。そして、何時の日か、「もう一度、其の場所へ行ってみたい。」と話していた。孫は、ロサンゼルスに留学している。孫に呼ばれてロスに遊びに行った時、日本人だといったら、少し待遇が良くなった。この間、頼まれて日本人のガイドをした。など、次々に思い出話を語ってくれた。また、明日慶州へ行くという私の話に、慶州は日本で言う京都みたいな所である。とか、そこへ行くには、バスが良い。タクシーは高すぎる。とか教えてくれた。また、ガイドブック(まるごと釜山)のあるページを指さして、「ここは、とても景色がよい。」と、教えてくれりもした。その場所(大宗台)は、最終日に行くことになる。
 かなり長時間の会話に、二人とも疲れてきたのか、会話も途切れてきた。時計を見ると、2時を回っている。私はおばあさんと別れ、港の観光案内所へと向かった。

●再び釜山港

 まず、両替所で1万円ほど換金。ついで、観光案内所で、慶州までの行き方を聞いた。案内所のお姉さんは、観光地図を取り出し、慶州行きのバスの発着所のある駅(明倫洞)に丸をつけ、
 「ここから明倫洞まで地下鉄で行き、そこからバスに乗ります。」
と教えてくれる。
 お礼を言い、案内所を後にした。自分で指定した5:10分が迫っていた。

●またまたホテル

 途中走ったおかげか、道に迷ったりもしたが、指定時刻にホテルに着けた。が、彼はいなかった。メモを読んだ形跡もない。(どっと疲れる。)汗がひくまで、一休み、いや、三休みくらいして、商店街へ出かけた。
 歩きながら、「彼の事など無視して行動すれば、今日はもう少し実りのある1日になったのではないか」という考えが頭の中をよぎった。

●南浦洞

 先程も書いたが、私が韓国に来た目的の一つは、「眼鏡をつくる」事である。なので、朝方適当に歩いた時に見つけた眼鏡屋街へ行こうと努力した。
 しかし、探すと見つからないものである。あちこち回ったつもりなのだが、結局見つけることが出来なかった。

●まだまだホテル

 フロント近くには、まだ彼のかばんが置いてあった。いい加減疲れたので、彼を無視してチェックインする事にする。
 フロントが、新規客と勘違いしたらしく、
「ツインルームでしたら、一部屋ありますが」
 と言う。朝の予約時は、「ダブルなら二部屋ある」と言われ、ツインは無視された。しかし、今は、「ツインなら一部屋ある」という。???
 おそらく、空き部屋を消化すべく、その都度、都合の良い事を言ってるのだろう。
 フロントに、「既に予約を入れている事」と、「連れは後で来るので、別に対応願いたい」との旨を伝えた。フロントは、予約状況を確認して納得していた。

 部屋へ入り、荷物の整理をする。その間に風呂にお湯を溜める。また、セイフティBOXに入れるため、貴重品をまとめる。

 よく、海外で宿泊するとき、「貴重品をどうするか?」は、問題となる。几帳面な人は、「フロントに預けるのは危険」という。しかし、海外慣れしている人でも、「当然フロントに預けるべき」と言う人もいる。また、以前ツアコンの人が、「フロントに預けて下さい。」と言っていた。
そういえば、「自分の納得する方法で保管しなさい。」と言ってた人もいるなあ。で、私はどうしているのか?というと、金銭の半分は自分で持ち歩くことにしている。パスポートについては悩む所であるが、私の場合、身に付けているだけで精神的に重荷であること。この暑さの中持ち歩く事は、肉体的に、うっとおしいこと。また、私が身に付けていて紛失する可能性と、フロントで紛失する可能性を比べると、フロントの方に分がある気がすること。(ここも、一応老舗のホテルですから。)以上の理由から、貴重品は、フロントに預ける事にしている。(尚、一応預けた品物,金額については、メモに控える事にしている。)

 すると、パスポートが見当たらなかった。荷物をひっくり返した。やっぱり無い。体中の血の気が引いていく。無いとは解りつつ、同じところを何回も探した。
 最後にパスポートを出したのは.... フロントだ。チェックイン時にパスポートNo.が必要だったのだ。風呂のお湯を止め、部屋の鍵を握りしめ、フロントに走った。エレベーターがやけにゆっくりに感じた。
 エレベーターを降り、フロントへ走る。テーブルをチェックする。
 力が抜けた。そこの隅には、(さっきまで手にしていた)見慣れた赤い手帳が 「ぽつん」と、置き去りになっていた。さすが文明国の韓国である。他人のパスポートなど、誰も興味をはらっていない。

 やはり、貴重品はフロントに預けるべきである。特に、疲れたり、夢中になったりした場合に、我を忘れてしまう人たちは、預けるべきである。
 部屋に戻り、セイフティボックスの鍵を眺めながら、気が楽になっていくのを感じていた。

●夕食

 さて、先程フロントに行ったとき、連れの荷物が無くなっていた。メモを無視した上、連絡もしてこない事に、少々ムッとしていた。が、ここで意地を張るのも大人げないか? しばらく悩んだが、彼の部屋に電話を入れた。

 私も、彼も、国籍は日本である。勿論、同じ日本語を使う。生まれも、同じ神奈川県である。にもかかわらず、彼と私とは、言葉(同じ文章を見て、あるいは話を聞いた時、得られる理解のされ方、など)が、かなり違う。「私の言葉が世間一般だ!」などと断言する気は毛頭ない。むしろ、周りからは、変な人で通っている。しかし、彼の言葉は、十分「へん」だと思う。だから、行き違いが起きることは、至極、当然の事と思う。詳しくは、省略するというか、私にもよく解らない。これからも、「私の考えていることを彼に理解させるにはどうしたら良いのか?と悩むこと」は、少なくはないだろう。

 電話口で彼は言った。
 「夕食はどうするの?」
 韓国料理は、ボリュームがあるものが多いので、一人で食べるのは至難と思われた。そこでのおさそいと予測する。別段腹など減っていないが、
 「食べたいなら、付き合ってやってもいい。ただし、焼き肉はいやだ!」
と答えた。彼は、体調を少々崩したらしかった。特に腹も減ってないそうだった。それでも、夕食は食べたいらしかった。フロントで待ちあわせ、二人は街へ出た。

 どの店に入るか、なかなか決まらなかった。どの店も今一つ決定打が無かった。そのうちに、昼に歩いた時、気になった店の前に出た。(その店の、どじょう汁と、チゲが、何となく、気になっていたのだ。)
 結局、一度は通り過ぎたものの、彼は「その店」に入ることを提案する。私は、〔高くなければ)どこでも良かった。

 店に入ると、外国人向けのメニューが出てきた。私は、どじょう汁,彼は、腹も減っていないのに、焼き飯と汁物の2点を頼んだ。
 この店は、サービスが良かった。(それとも、韓国の食堂は、皆こうなのか?)汁物にはご飯が付いてくるし、お通しは、5品も出てきた。しかも、全てが、とてもおいしい。中でも、唐辛子の漬物は絶品であり、私はむさぼり食べた。腹が減って無いのが、実に残念であった。そうそう、唐辛子程ではなかったが、どじょう汁も、十分おいしかった。(内心、明日も来たいと思った。)ちなみに彼は、当然のごとく食べきれず、料理を残していた。つくづく、計画性の無いやつである。  (解説: 他の人と見解が分かれる事が多いが、「料理を残すという行為」は、私には、かなり罪悪な事と感じるのである。)

 この後、体調の悪い彼は直ぐホテルに戻り、私は街をもう一周して戻った。(追伸、眼鏡屋街は、見つけれなかった。)そして、ホテルに戻った後、洗濯しようと風呂の残り湯に服を入れた時、何かがぶつかる音が聞こえた。
 それは、胸ポケットに入っていた電子翻訳機(まあ、携帯型なので、買値で1万程度の物だが)が、はかない生涯を終る瞬間の悲鳴であった。
 ひどく不運の1日であった。
 
 

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