青春18切符 四国の旅

● はじめに
 彼には「瀬戸大橋を車で渡る」という夢があった。しかし、実現を躊躇していた。なぜならば、瀬戸大橋の通行料は高いのである。つまり、「瀬戸大橋を渡る」という以外にさして目的が無い彼は、それだけの事に大金を投じる行為に思い悩んでいた。
 彼はある日、「青春18切符」の存在を思い出した。瀬戸大橋を渡るのに、何も車を使う必要はない。これを利用すれば、積年の夢が2300円で実現可能である。
 そんな彼が私に電話をかけたのは、自然の成り行きといえよう。この様な酔狂の企画に付きあえる人材といえば、彼の広大なる交友関係を調べても、そうそう存在するものではない。

 久しぶりに、旅行をする事になる。
 「安く上げるぞー!」
 気合いを入れる私であった。

 ここで、念のため青春18切符について説明する。これは、JR全線が(鈍行のみ)1日乗り放題になる切符で、いつも春,夏,冬,に発売される。5枚綴りで11500円だから、1枚あたり2300円となる。一部の人には異常に有名である。
 私事であるが、実は、以前よくお世話になっていた。滋賀県(長浜)に転勤していた頃、経費節減のため、実家の神奈川までの往復によく利用していたのだ。そういえば、バラバラに集まってボックス席に座った4人が、車掌の「乗車券拝見」の一声で同一の切符を差し出し、互いに顔を見回した事があったっけ。 そう、この様に世間では広く使われている切符なのである。

 今回の旅は、平塚 → 長浜観光 → 尾道のラーメン探し → しまなみ街道自転車の旅 → 松山観光 → 夕日の瀬戸大橋 → 姫路半時観光 → 奈良半日観光 とめぐり、旅を終えた。 これは、「青春18切符 貧乏旅行記」のきっかけとなった旅行である。「彼」というのは、先の旅行記に登場する「彼」つまり、「滋賀県に転勤した同行者」と同一人物である。一年以上経過してから書いているので、思い出せない部分は多々省略してある。また、とても人に話せないようなエピソードについても同様である。
 

● さらにプロローグ
 「ある程度の旅行プランは彼が考えているだろう。」安易な気持ちで旅に出発した私は、愚か者であった。冒頭にも記したように、彼の目的は「瀬戸大橋を渡る」だけなのである。その先のことなど、考えていよう筈が無かった。
 「行き当たりばったりタイプ」の彼に対し、私は修学旅行タイプ(つまり、ある程度予定が無いと行動できないタイプ)であった。計画性が全く無い旅行や、だらだらした観光など、耐えられなかった。旅慣れない私が、旅行計画に対する自主性を養える事が出来たのは、彼と行動を共にした事より得られた貴重な成果の一つである。
 とはいえ最近思う。順調に進む旅は理想である。しかし、ある程度のハプニングは、旅行の醍醐味ではないか?

● 出発 
 下り方面に行く場合、「快速ながら」を使うのが常套手段である。理由は、夜行列車のため、時間を有効に使えるからである。しかし、デメリットもある。指定席が取れないと、明け方まで「電車の床」で過ごさねばならない可能性が高いのだ。この日は電車が混んでいる事が安易に予想できたので、無難に始発電車での出発を選んだ。しかし、JRは一筋縄では行かない路線なのであった。
 
 その日、一度目の乗り換えを終えた後、前日の疲れが眠りを誘い、知らぬ間に眠ってしまった。この間、確か、沼津辺りだっただろうか? 構内放送で何かを訴えていた様な気がする。 周囲の騒がしさに何度か睡眠を妨げられても、私は起きる事をしなかった。 
 それから数時間後、ようやく起きる決意をした私は、眠い目を擦りながら窓の外を眺めて驚いた。電車は大雨のため、3時間ばかり立ち往生していたのであった。
 そんなこんなで大垣までたどり着いた頃には、時計の針が午後2時を回っていた。今からでは、大阪や京都を巡るには遅過ぎる。 ・・・悩んだ結果、懐かしの長浜を歩くことにした。

 長浜には観光ツアーらしき人たちが大挙していた。NHKで「秀吉」が放送されてから、観光客が増えたらしい。その影響か、町並みも改装され、面影が大分変わっていた。

●  〜尾道
 彼の部屋の目覚ましが鳴る。外はまだ暗いが、出発30分前だ。ゴソゴソ起きだし、用意する二人。暫くすると、彼は不思議な荷物を2つかかえ、一つを私に差し出した。
 「歩くのが面倒くさいから」
 悩みながら受け取る私。それは、キックボードであった。
 「こんなかさばる物持っていくの?」
 これの携帯に意義を唱えが、結局は彼に押し切られた。それには、彼なりの計算があったのだ。
 さて、ここから長浜駅までは、歩くと少し距離がある。そのため、無料駐車場がある田村駅まで車で移動する。すると、キックボードが出番となった。田村→米原間を、キックボードで移動したのである。米原からならば、直接「東海道本線」に乗ることができる(北陸本線を乗らずに済む)。最も、旅行全体を通して「役に立った」と思えるのは、この移動時のみであった。全体的に言えばむしろ「お荷物」以外の何者でもなかった。
 途中米原駅付近のコンビニで、時間配分を間違えたりもしたが旅行はほぼ順調にスタートした。
 (注:時間配分を間違えたというのは、電車を一本乗り遅れたと同意義語であり、それは米原までの移動が無駄になってしまった事を意味する。実は、米原で乗った電車は、たまたま数少ない所の「長浜発」だったので、田村駅からも乗車は可能であった。これは、あくまで結果論であるが。 ・・・でも、キックボードの存在意義は.......?。)

 昼頃に「尾道」へ到着。ここまでは、しごく順調だった。
「尾道ラーメンが食べたい」
 早速彼は騒ぎだした。
「この位は付き合ってやろう」
 などと思った私は甘かった。尾道ラーメンは知っていた彼も、ラーメン屋の場所までは知らなかった。あてどもないラーメン屋探しが始まる。
 余り人のことは言えないのだが、中途半端な知識ほど迷惑なものはない。

● しまなみ街道  〜
 話は少しさかのぼる。先日彼と合流した後、本屋へガイドブックを探しに出かけた。するとガイドブックに、「四国まで自転車で渡れる」と書いてあるのだ。これは、しまなみ街道を意味する。写真にはマウンテンバイクに乗ってそこを走る女性が写っていた。半分冗談で、「四国まで自転車で行きたい」と言った私に、彼はOKの返事を返した。慌てて聞き返した。しかし、彼の返事はOKであった。この時の驚きは、今でも忘れられない。その距離約60Km にも及ぶ道のりを「自転車で渡ろう」などと考える人間が存在するなどと誰が予想しよう。その工程には、数々のアップダウンが有ることも容易に想像できる。それにも関わらず、彼は反対しなかった。
 「しまなみ」を自転車で渡れる事に私は興奮した。ただ、彼は60kmもの距離を走破する事が出来のであろうか? 私の胸を、大きな不安がよぎっていった。
 
 現実は、更に厳しかった。貸し自転車屋の装備を見た時、私の顔はひきつった。わずかな望みをかけ、勇気を振り絞って質問した。
 「他の種類の自転車は、ないんですか?」
 貸し自転車屋のおじさんは、当然のごとく答えた。
 「ありません。」
 さらに、
 「今日中に渡りきるのは無理じゃないかな。途中に宿屋も有るので無理しなさんな」
 おい、ガイドブックの編集者。写真に嘘偽りがあるぞ! って言っても、それが貸し自転車屋で借りたとは書いてなかったか。それにしても尾道は、「しまなみ街道を走破しよう」という人たちを想定しないのか? いくら変速機があるといっても、ママチャリで90 Kmは辛すぎるぞ。
 「しまなみ」を4〜5時間ほどで渡り切る計画を立てていた私は、今後の展開を予想出来なくなった。かといって、既に後に引ける状態ではない。行く末を案じながらも借用の手続きをせざるを得なかった。

 ところが、彼はそんな悪条件をも乗り越えて、しまなみ街道を渡りきってしまったのだ。もっとも、そのペースはあまりに遅かった、そしてそれは、私には耐えられないほど遅かった。夕方到着という目標を捨てきれない私は、彼に対し何度も何度も「スピードアップ」を求めた。それでも彼は、最後までマイペースを貫いてくれた。
 余りの遅さに時間を持て余した私は、橋を渡るごとに自転車を止め記念スタンプを押し、公園を見つけるごとに自転車を降りて景色を眺めて、彼のキックボードを奪って前のカゴに入れて(自転車のスピードを抑えるための重りとして...あ!役に立っている。)、とにかく思いつくかぎりの時間調整をしながら彼を待った。
 そういう事情もあって、四国に到着したのは夜7時を越えていた。
 「彼と自転車で移動する時は、同行しようなどと思ってはいけない。目標地点を決めて、各人勝手に走らねば身が持たない。」
 私はこの事を、身にしみて感じた。

 四国側のターミナルは夜8時まで営業しており、幸運にも、延長料金無しに自転車を返却する事が出来た。そのターミナルは(サンライズ糸山)何と、宿泊設備も備えていた。時間が時間だし、値段も安かったので「ここに宿泊しない?」と提案する私。対し、彼は「松山行き」を強く主張した。特に反対する気も起きなかったので、彼の意見に従う。
 贅沢にも、タクシーで最寄りの駅(波止浜)に向かう。(歩いていたら、ほぼ確実に道に迷っていたであろう。彼の提案は、とりあえず成功したかにみえた。)しかし、波止浜駅の時刻表は、松山方面行きが、既に終了していると言う事実を告げていた。

 暫くすると、さらに彼は提案した。
 「今治駅に戻り、急行に乗ろう」
 そういえば、急行だって、金さえ出せば乗れるのだった。幸運にも逆方向の鈍行列車と、松山行の急行列車は残っていた。貧乏旅行に固執していた私は、彼の決断の潔さに感動する一方、鈍行以外乗れないと信じていた自分の頭の堅さを嘆いた。そんな訳で、リッチな一時を過ごしながら、何とか松山の地を踏むことが出来たのだ。

● 松山
 駅の近くに何件かのビジネスホテルが営業している。(ちなみに、BOOK OFFも営業していた。)その中で、一番安い所を選びチェックイン。ツインで1泊9000円(サウナ付き)だったかな?
 荷物を置いた後、部屋で一休み。それから街に出ることになる。ガイドブックで、近くに松山城が有ると知ると、私は無性に行きたくなった。
 「ついでに松山城へ、行こう!」
 半ば強引に同意を求める。
 「いいですよ!」
 彼はあっさり同意した。ホテルを出て松山城へ向かう。気のせいか、道行く人たちの視線が白い。 単に、キックボード乗ることへの私のコンプレックスかもしれないが。
 暫くすると、ライトアップされた松山城が小さく見えてきた。「小さく見える」つまり、そこまでは、とても遠かった。
 「どうするんですか?」
 彼が不満げにつぶやく。私も困った。しかし、これ以上彼を振り回す訳にもゆかず
 「戻ろう。」
 あっさり諦めた。で、駅方面に戻る。夜もこの時間になると、開いている店が少ない。二人は吸い込まれるようにBOOK OFFへ入り、松山の夜を楽しんだ? しかし、私は松山城への遺恨を残した。

● 翌朝
 本日の予定は二つに一つ。
1.当初の予定通り金毘羅さんをお参りする。
2.松山を観光する。〔昨晩のリターンマッチ)
 四国の電車は連絡がめちゃめちゃに悪い。よって、観光に使える時間は半日程しかとれず、どちらかを選択する必要があった。昨晩決めれずに寝てしまったため、早急に決断しなければならない。しかし、どちらも捨て難かった。
 
 今にして思えば、ばかばかしい選択だ。なぜならこの計画には、大きな要素が抜けているのだ。それは、「道後温泉へ行く」と言う必須項目である。温泉へ行った後に金毘羅さんへ行くスケジュールなど、組める訳がないのだ。(不可能では無いだろうが、時間的には相当キツイだろう)
 温泉など全く興味無かった、さらにいえば、昨日まで道後温泉の存在すら知らなかった私は、その存在の大きさに、気付こうともしなかった。前夜の「お散歩」で、駅付近に温泉らしき所が無く不思議に思っていた事も忘れていた。
 実は、彼が松山行きを強行したのは、「道後温泉へ行きたい」という一念である。そんな訳だから、彼が温泉行きを譲らないのは当然なのだ。問題は、そんな彼の昨晩の発言である。
 「温泉は、明日の朝一番で行けばいいですよ」
 私はこの言葉を曲解した。温泉はこの付近、少なくとも歩いて行ける程度の場所にあり、しかも、朝早くから営業しているものと予測した。更にいえば、彼はその時間に起きて、私を案内してくれると信じた。 ・・・・・なんて都合の良い解釈であろう。
 「起こさないから悪いんですよ!」
 口論の最中の彼の発言である。その通り。昨日疲れ切っていた彼が、「自発的に起きる」筈は無いのである。さらに、彼が予定や時間配分まで考えてる訳も無いのである。全ては何時までも計画を決められず、彼を起こせなかった、そして、道後温泉の地理を理解していなかった、さらに、彼に過度の〔都合の良い)期待をかけすぎた私の責任であった。

 そんなこんなで朝一の電車の時間が過ぎてしまい、必然的に松山観光をすることとなる。スケジュールを立て直しながら、私はしごく機嫌が悪かった。この事がきっかけとなり、しまなみでの確執が再燃し.......。気がつくと、二人は別行動を取っていた。
 「帰りの電車も別々になるだろう」
 実際、私はそう思っていた。しかし、世間とは、以外に狭いのであった。


 松山城,松山城二の丸史跡庭園,子規堂,etc, ・・・観光は朝立てたスケジュール通り順調に進む。路面電車に乗り、最後の目的地、道後温泉へ向った。すると、駅には帰りの電車を待つ「彼」がいた。合流方法さえ決めていなかった二人が、こんな所で再会したのは、何かの因縁なのであろうか?
 「じゃあ駅に戻りましょうか」
 彼は第一声をはなつ。
 「えっ?! 今着いたばかりだぞ」
 冗談じゃないとばかりに反論する。私が朝に立てた計画では、松山駅を立つのは、ずいぶん先であり、時間が残った場合は、最後に温泉で汗を流す予定になっているのだ。
 で、結局、予定の電車の発車時刻10分前に、松山駅で待ち合わせることとした。
 「電車の時間までしばらくあるから、松山城でも観光したら?」
 観光のついでに温泉に行く私は、温泉へ行ったついでに観光する事を彼に勧めた。彼は、朝から ずうううっと ここで過ごしていたそうである。(あきなかったのでしょうか?)
 そんな話を聞いて、私は勝手に自己満足に浸った。「私の方が効率良く観光が遂行されている。朝立てた計画は完璧だあ」と。 実は、彼にとっては「松山城」こそが興味の対象外だったのであるが....。

 温泉街を歩いていると、「椿の湯」なる看板を見つけた。しばらく散策したが、他に温泉らしき所がなかったのでそこへ入る。そこは、古めかしい銭湯のようで、確かに情緒は有ったがそれ以上でもそれ以下でもなかった。「多くの人は、何であそこまで温泉に固執するのであろう。一体銭湯と何が違うのであろうか?」湯船に漬かりながら悩んでいた。ただ、湯上がりに用意してあった御茶が、やたらと美味しかった。
 椿の湯を出て、温泉街をもう一周すると、道後温泉なる所を発見する。道行く人の会話を聞いていると、どうやらこちらが本命らしい。その造りの立派さに、何となく納得した。 もっとも、こっちの湯は、やたらと込んでいたそうだが....。
 時計を見るといい時間である。私はからくり時計へ向かった。と、和服を着た男女とすれ違う。観光客が、その二人と記念写真を撮っていた。それが、坊ちゃんとマドンナを模していたのだと知ったのは、後のことである。
 からくり時計のからくりを見学した後、松山駅へ戻り彼と合流する。発車まで時間があったので、駅の蕎麦屋へ入った。安くて美味かった。有名な店らしく、著名人のサインが数多く並んでいた。

● 瀬戸大橋
 この旅行の予定を組む上で、一番問題となった部分である。前述の通りJR予讃線の連絡の悪さは半端ではない。私がいくら「鈍行の旅が好き」といっても、さすがに、ここでは暇をもてあそばした。しかし、同じ車両にはそんな時間さえ惜しむべく、フルサイズの時刻表を眺めている者、ツアコン試験の参考書を読んでいる者。駅ごとに大層なカメラをふりかざし写真を撮る者、強者達が大居していた。
 夕方、ようやくたどり着いた瀬戸大橋線は順調だった。予定通り瀬戸大橋からの夕暮れの景色を眺め、旅行のメインであり最終でもあるイベントを終える。この旅行最大の目的の筈だったのだが、それは、あっけなく終わってしまった。
 
● おまけ
 姫路。待ち合わせの間に「駅そば」を食べる。この時、メニューから「駅そば」を選ばなかった彼は、私のそれを見て羨ましがった。「青春18切符 貧乏旅行記」において、彼が私に待ちぼうけをくらわせながらも「駅そば」を食べていたのは、この辺の事情からと推定できる。実に「食べ物の恨みは恐い」を地でいっている。

 さて、青春18切符を使う「初めての大?旅行」であったが、この旅行を通じ、数々の経験をさせてもらった。しかし、不思議なもので、思い出すのは「美しい景色」や「歴史上の史物」ではなく、「問題の有った部分」ばかりである。プロローグにも書いたが、きっと、そういう予想外の出来事が、旅行の醍醐味であり、更なる旅行(挑戦)へと駆り立てるのであろう。
 さしあたり「彼」の次なる目標は、
 「次回こそは駅そばを食べるぞお!」
 ..... 多分、そんな所でしょう。

 というわけで、「彼」さん。 色々な面で、反論を待ってます。
                                    

 
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