10月17日〔水) 博多へ
0:41 平塚 → 小田原 1:01 JR
1:04 小田原 → 大垣 6:56 JR
7:01 大垣 → 米原 7:37 JR
8:25 米原 → 姫路 10:44 JR
11:04 姫路 → 岡山 12:26 JR
12:42 岡山 → 岩国 16:02 JR
16:13 岩国 → 下関 19:29 JR
19:45 下関 → 小倉 20:03 JR
20:14 小倉 → 博多 21:24 JR
(博多泊)
10月18日〔木) 長崎観光
6:20 天神 → 長崎 9時前 九州急行バス (2900円)
●10月17日
この日は移動日で、実に、1日のうちの20時間を、JRで過ごしている。単に、何処まで行けるか挑戦してみただけなのだが、再度やろうという気にはなれない。なぜなら、鈍行列車を使う限り、長崎までは1日でたどり着けない。すると、途中に宿泊費がかかることになり、トータルで考えると、飛行機で行った方が安上がりなのだ。間抜けな話だが、この事実に、移動中に気付いて、がく然とした。
最も、博多まで足を延ばしたのには訳がある。例によって台風が近づいてきた。そのため、天気を睨みながら行動していたのであるが、第一目標の広島は、未だ雨が降っていた。そこで、第2目標の博多を目的地とした。博多では雨が上がっていた。
さて、この晩は、博多のカプセルホテルに泊る。そして、明朝は5時11分の電車で長崎へ向かう予定であった。しかし、此処のカプセルには、目覚時計が装備されていなかった。現在の疲労感を考えると、目覚まし無しで起きれる自信はない。
考えた結果(200円程割高となるが)バスを使うことにした。6時20分のバスに乗ると、8時44分長崎到着予定、つまり、JRよりも遅く出発するにもかかわらず、到着は早くなるのである。それにも間に合わなかったら.....その時は別のプランを立てよう。
ちなみに、このホテルは、今月一杯で閉館とのことだった。設備やサービスが今一歩な訳が理解できた。これでは、他のカプセルとの競争に負けるであろう。ただ、値段だけみれば福岡で最も安い様なので、少々残念に思った。
●長崎駅周辺
バスは、長崎駅付近の渋滞にはまり、予定より少し遅れて到着した。
例によって観光案内所で資料をあさった後、今夜のカプセル〔宿)をチェックする....が、見当たらない。それらしき所をぐるぐる回り、暫くしてやっと解った。そこは、現在改装中なのであった。
予定の宿を失ったため、帰りのバスの時間をチェックする。別の宿が取れなかった時の用心の為だ。最終バスは、8時過ぎであった。本日の予定を、頭の中で再構成しながら街を歩く。路面電車の駅には、修学旅行の学生達があふれていた。
●日本二十六聖人殉教地
秀吉の命令でスペイン人宣教師を含む6名の修道者と20名の日本人信徒が磔刑となった地。 らしい
とりあえず、観光を開始した。修学旅行生が入れ替わり立ち替わり現れる。そして、記念撮影して消えていった。
●本連寺 境内自由
天正19年にサン・ラザロ病院が建ち、サン・ジョアン教会が併設されていた所で、のちに本連寺を創建。 だそうだ
●福済寺 7:00〜17:00 拝観200円
寛永5年に中国僧が創建、七堂伽藍が整った大寺だったが、原爆で全焼。昭和54年に再建された。 とのこと
●聖福寺 境内自由
延宝5年に鉄心が開き、崇福寺・興福寺・福済寺とならび”唐4ヶ寺”と称され、広東人の帰伝寺だった所。 だそうだ
人もまばらで、とても静かな所でした。
●長崎公園
諏訪神社に続く公園。多くの碑や見事な巨木,動物公園などがある。
●諏訪神社
諏訪・森崎・住吉の三神をまつり、長崎の総鎮守として創建された古社で、10月の「長崎おくんち」が名高いそうだ。
●シーボルト記念館 9:00〜17:00 入館料100円
日本の近代化に貢献したシーボルトを顕彰するために長崎市が設置したもので、平成元年10月1日に開館した。(パンフレットより)
記念館を出た後、路面電車で眼鏡橋へ向かった。(公開堂前)路面電車は、距離に関係なく一律100円とめちゃ安。一日乗り放題でも500円である。
●眼鏡橋
寛永11年興福寺の黙子如定禅師が中島川に架けた、我が国初の唐風アーチ石橋。日本橋,錦帯橋とともに、日本三大名橋の一つという。
グラバー園方向は、時間の都合で割愛し、平和公園方面へ向かった。しかし、路面電車の駅は、修学旅行生で一杯。電車もなかなか来ない。駅までなら大した距離ではないと、歩いたのが失敗だった。道は入り組んでおり、私は当然のごとく道に迷った。
●原爆落下中心地
昭和20年8月9日、この上空500mで原爆が炸裂したと言う場所。
何とか路面電車に乗るも降車駅を間違える。これは、絶対地図が悪い。(と思う)位置関係や距離関係がめちゃめちゃじゃないか。といいつつ、何とか此処へたどり着いた。
●平和公園
原爆落下中心地の北に続く丘にあり、平和祈念像がある公園として有名。
修学旅行の団体さんや、観光ツアー客がひっきりなしに訪れる。折角なので、少し離れたところで、ガイドさんの説明を盗み聞いていた。
●如己堂
故永井隆博士は原爆被災後、この家に愛児と住まわれた。「己の如く隣人を愛せよ」の聖書から命名されたそうだ。
あたりは小学生(社会見学)であふれかえっていた。暫くすると、彼らは浦上天主堂方面に移動しだす。やばい!とばかりに私は先回りしたが、そこは既に別の団体であふれていた。
●浦上天主堂
明治28年から30年間をかけて信徒達が造りあげた石とレンガ造りの東洋一のロマネスク様式大聖堂も、爆心地に近かったため一瞬のうちに破壊された。しかし、昭和34年に復元され、赤レンガが美しい天主堂として蘇ったそうだ。
●長崎市立博物館 9:00〜17:00 入館料100円
原爆資料館の隣に位置する博物館。「近代文明のあけぼの 長崎文化資料展」のテーマのもと、鎖国日本の唯一の窓として重要な役割を果たした長崎の歴史と文化資料を展示してある。(パンフレットより)
●長崎原爆資料館 8:30〜17:30 入館料200円
被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子等ストーリー性のある展示を行っている。(パンフレットより)
●山王神社(片足鳥居)
山王神社のニノ鳥居で、原爆の爆風で片方が倒れてしまったもの。
ここも、記念写真スポットらしい。しかし、此処にしろ、平和公園にしろ、惨事の跡地で記念写真を撮るのもどうかと思う。後ろの方に、危ない物が写ってしまうかも...。
●坂本国際墓地
稲佐・川上と合わせて3ヶ所ある外人墓地の一つ。らしい
ここへたどり着く前に一泊4000円のビジネスホテルを見つけ、今晩宿泊出来ることになった。暗く成るまでには、若干時間があったので、大浦天主堂の方まで足を延ばす事にした。
●オランダ坂
長崎では西洋人を「オランダさん」と呼び親しんでいた。当時、彼らが好んで歩いた石畳の坂道がオランダ坂と呼ばれているそうだ。
最初に来た路面電車に乗り、築町で下車した。が、例によって、道に迷ってしまう。あたりが暗くなり始めたので、天主堂を諦めオランダ坂へ向かった。何気ない坂であるが、タクシーがちょくちょくやって来る。どの運転手も客を降ろした後、記念写真を撮って、足早に去っていった。
●東山手町並み保存センター
明治30年頃に建てられた洋風の賃貸住宅とのこと。
あたりは既に薄暗くなっていたが建物はライトアップされていた。
●中華街
日本三大中華街の一つだそうが、横浜辺りと比べると、やや小さい感じがする。また、雰囲気は、中華街というよりも商店街と言う感じであった。
出店で買った”みかん”は、安くておいしかった。
●宿へ
中華街から思案橋に足を伸ばした後、海の方へ歩いてみる。途中、カプセルホテルを発見した。しかも、一泊3000円とお安い。少々残念であった。
海岸大波止ターミナルが見える。夜の海も綺麗であった。次回来る時は、稲佐山からの夜景を眺めてみたい。
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