◆◆◆ 目白〜東長崎 Aug.
28,2011 with D50+Tamron
24〜50mm F2.8
マンガの聖地 椎名町 (昭和39年まで、南長崎の旧町名は、椎名町だったそうです。)
参考 URL http://www.city.toshima.lg.jp/kanko/23269/013506.html
最初に住んだのは、手塚治虫だった。そして、新人マンガ家たちが全国からつどい、寝食をともにしたという。
そんな、マンガの神様達が青春時代を過ごした奇跡のアパート「トキワ荘」
時は流れ、街の名も南長崎に変わったが、この界隈には、当時を思い出させるゆかりの地が、今も点在するそうです。
それでは、そんなトキワ荘 ゆかりの地を散歩してみましょう。
■ 目白駅〜二又交番
JRの最寄りの駅は目白。そこから目白通りをしばらく散歩すると、目印となる交番があらわれます。
■ 子育地蔵尊
|
2010年に建立300年を迎えた子育地蔵尊。毎年8月に、おまつりが開催されるそうです。
手塚治虫の「トキワ荘物語」にも登場しているそうです。 |
■ 紫雲荘
|
週刊誌の仕事が忙しくなった赤塚が借りたアパートが、ここ紫雲荘で、トキワ荘の赤塚の部屋と窓ごしに会話出来る位置関係だったそうです。
|
■ 落合電話局
携帯電話どころか、自分の部屋に電話も持てない時代、トキワ荘の正面入口の真向かいあった落合電話局の電話BOXは、彼らにとって、無くてはならないものだったそうです。
■ 中華料理店「松葉」
トキワ荘とゆかりの深い店で唯一現存するのは、ここ「松葉」だけだそうです。あの頃の味を今も守り続けているこの店の店内には、マンガ家直筆色紙などミニ博物館状態だそうだ。
■ トキワ荘跡地
昭和28年始め頃、トキワ荘の完成とほぼ同時に手塚治虫が入居しました。それは、マンガ雑誌「漫画少年」の編集長が同じアパートに部屋を借り、超売れっ子の手塚を監視するためでもあったそうです。そして、その「漫画少年」への投稿仲間であった若い漫画家達が日本全国から次々とトキワ荘へやってきたそうです。
現在は「日本加除出版株式会社」の第二社家が建っており、トキワ荘の痕跡らしきものは残されていませんが、日本加除出版の門柱はトキワ荘建造前からあったので、位置関係を知るうえでは、格好のランドマークとなっているとのこと。
■ 増田青果?
|
よくわかりませんが、この街のパンフレットがおいてありました。 |
■ 記念碑「トキワ荘のヒーロー達」
南長崎花咲公園には、マンガ家10人の似顔絵とサイン,上部にトキワ荘のブロンズ模型の乗った記念碑があります。
2009年、4月に完成したそうです。
■ 東長崎駅
|
この街へのアクセスは、西部池袋線のこの駅が、一番いいようです。 |
■ その他
パンフレットには、その他にも沢山の跡地が記載されてますが、現在ではその面影もなく、(方向音痴の)私には探すことさえできませんでした。
■ 戻る → ホリデーパスで東京散策
■ HOMEへ → HOME Document