武蔵境ー武蔵小金井    Sep. 10,2003   with FinePix500
 武蔵境の本村公園から小金井公園へ抜け、武蔵小金井まで行きました。メインは「東京たてもの園」なので、東小金井から直接向かうのも良いかとおもいます。

■ 武蔵境駅
武蔵境駅

■ 本村公園
本村公園
 武蔵境駅〜堺浄水場間の引込み路線地を整備した、弧状の公園。クスノキ、マテバシイ、ケヤキ、ナラなどが植えられている。

■ 高橋家のケヤキ
 (市天然記念物)
 このケヤキは樹齢300年以上と推定され、樹高約30m、根本周囲約5m、胸高幹囲約4mあり、樹勢はすこぶる旺盛で、約8〜9mの高さより6本に枝分かれし、うち2本は折欠している。
 この巨木の西側にも、ほぼ同じ大きさの巨木が合って、門柱のように一対をなしていたが、南側の養蚕室全焼のさい罹災し、枯死したという。また、東側の屋敷境にも数本の100年未満のケヤキ並木があり、屋敷林の景観をとどめている。


■ 品川用水取水口跡
 品川用水は、旱魃に悩まされていた品川領内九つの宿や村の農業用水として1669年に開通しました。
 水路は石積みの土手が今も残る玉川上水のここ境取水口から分水され、現在の武蔵野市・三鷹市・世田谷区・目黒区を通り、品川区域に入ってからは細く分かれ、網目状に広がっていました。その距離は、境の取水口から大井町の用水掛渡井まで約25.2Kmになりました。
 明治末期から大正・昭和にかけて品川区域は都市化が進み、田畑が宅地や工業用地に変っていくとともに農業用水の需要も減り、次第に下水化していきました。
 昭和23年には品川用水の水利権を三鷹町(現三鷹市)に譲り、280年にわたって品川区域に恵みをもたらした品川用水はその役目を終えました。


■ 国木戸独歩文学碑
 江戸時代から桜の名所として有名だった玉川上水。上水に架った桜橋のかたわらに、昭和32年にたてられた石碑がある。
 石碑には、国木戸独歩の代表作のひとつ「武蔵野」の一節が刻まれている。


■ つつじ山広場
つつじ山広場
 面積77万平米と広大な小金井公園の一角を占める芝生の広場。広場中央の大ケヤキは、昭和61年の都立公園開園面積1000万平米達成記念の植樹だそうだ。
そりゲレンデ
 近くにある人工芝のそりゲレンデ。芝が坂目立っていて、大人が滑るのは大変でした。

■ 浴恩舘公園
浴恩舘公園
 小金井公園を一旦出て、浴恩舘公園へ行きました。
 「次郎物語」の作者である下村湖人を所長として開設された青年団指導者養成所、浴恩舘を中心とした公園。浴恩舘は、現在小金井文化財センター(写真右 開館9時〜16時30分)となっている。

■ 真蔵院
真蔵院
 付近の新田を開発した関勘左衛門が、父の供養のため建立した寺。

 ■ 江戸東京たてもの園   
開館 9:30〜17:30(4〜9月) 入場 400円  http://www4.ocn.ne.jp/^tatemono/
 本日のメインエベントです。風勢ある園内は、期待以上の見応えでした。
江戸東京たてもの園
 東京都は、1883年江戸東京博物館の分館として、敷地面積7haを擁する「江戸東京たてもの園」を建設しました。
 この趣旨は、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建築物を移築し、復元・保存・展示することにより、貴重な文化遺産として次代に継承することも役割として担っているそうです。
 茅葺き屋根の家では、ボランティアが毎日暖炉の火を入れて室内をいぶし、建物の保存をはかっています。今日は、たまたまお月見の飾り付けがしてありました。また、ミュージアムトークとして、の万世橋交番(写真右下)の解説が行なわれた。

■ SL展示場   
開場 10:00〜16:00  3〜11月の日曜・祝日・都民の日に公開
 「貴婦人」と呼ばれたC57型の蒸気機関車。昭和21年製造の車両。


■ 武蔵小金井駅

えき
 復路には、武蔵小金井に行ってみました。



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