弘法山公園散策 Apr. 17th, 2003   with FinePix500
Map
 春の弘法山公園は、桜の名所。そんな訳で、出掛けて見ましたが、既に花見には遅すぎたようです。それでも、ハイキングコースとしては、お奨めの1つと思います。

 ○ START
駅
 出発点は秦野駅北口。結構モダンな造りです。(写真左)
 まっすぐ歩くと「まほろば大橋」があります。正面の時計は、時間になると音楽を奏でます。(写真右)

 ○ 弘法の清水
湧水湧水解説
 まほろば大橋の手前の道を行き、ある細い道の角を曲がると「弘法の清水」があります。
 生では飲めません。保健所が検査した結果、「沸かしてからお飲み下さい。」との事でした。
 → 近頃は、土壌改善の成果で飲料可能となったらしいです。

 ○ 弘法山公園入口
入口
 河原町交差点を過ぎて、LAOXの向かい辺りに、公園の入口があります。
 奥の山道を登ると弘法山公園へと続きます。写真右は浅間社です。

 ○ 浅間山
浅間山
 地面には、桜の花びらが一杯。満開時の美しさが忍ばれます。

 ○ 権現山
権現山
 春に、権現山から弘法山にかけて「弘法山桜まつり」が行われるそうです。
 公園には展望台があり、下界が見渡せます。また、ここには秦野出身の歌人、前田夕暮の歌碑もあります。

 ○ 弘法山
弘法山

 山頂を少し下り(写真左上)、馬場道と呼ばれる平坦な桜並木の尾根道を進んだ後、少し登ると弘法山山頂です。山頂には大師堂や鐘桜、乳の井戸などがあります。

 ここから吾妻山を通り、鶴巻温泉駅へ向かうのが一般コースですが、秦野に自転車を残しているので、ここで引き返しました。



「鶴巻温泉駅」から「権現山」へ Apr. 1, 2004   with FinePix500
駅にあった地図 
 
前回は、弘法山公園入口に自転車を置いたままだったので、秦野へ引き返しました。
 今回、桜の季節を狙って、鶴巻温泉駅から権現山までの道のりを歩いてみました。
(紹介は逆順、つまり権現山から駅方面に、行ないます。)

 ○ 桜の権現山
花の権現山
 通常弘法山と言えばこの権現山を含んでのことであり、又の名を千畳敷きとも呼ぶ。権現山は元々その名の由来とする権現堂があったために名付けられたものである。龍法寺の伝えに依れば権現山には白山妙理権現が祭られ、その本地仏として現在龍法寺に安置されている十一面観音菩薩が字観音山に祭られていたという。また、明治の末頃までは堂の位置を示す土壇も認められたという。

 ○ 桜の弘法山
花の弘法山
 弘法山の名前は弘法大師がこの山頂で修業したことから名付けられたとの伝来があり、権現山を含んで呼ぶこともある。弘法山は麓の龍法寺と深い関わりをもち、戦国期に真言宗から曹洞宗に変えた。鐘楼の下に続く沢を真言沢と呼び、その名残がある。

 ○ 吾妻山 
吾妻山
 日本武尊は、東国征伐に三浦半島の走水から、舟で房総に向かう途中静かだった海が急に荒れ出し難渋していました。そこで妻の弟橘比売は、「私が行って海神の御心をお慰めいたしましょう」と言われ海に実を投じられました。ふしぎに海は静まり無事房総に渡ることが出来ました。征伐後、帰る途中相模湾・三浦半島が望めるところに立ち今はなき弟橘比売を偲ばれ「あずま・はや」と詠まれた場所がこの吾妻山だと伝えられているそうです。

 ★ 大山方向への道
脇道
 駅から吾妻山へ向かう途中、こんな看板がありましたので、少し寄り道してみました。

 ○ 御夜燈
 この御夜燈は、1827年に、旅人の峠越えの安全のために、道標として建てられました。
 点灯のための灯油は、近隣の農家が栽培した菜種から抽出した拠出油でした。
 この下に峠の茶屋があり、その主人、八五郎さんの手により、明治末期まで点灯し続けられていました。
 その後、放置されたままになっていましたが、平成6年霜との「たろうの郷づくり協議会」の手により復元されたそうです。

 念仏山方向の道に入って直ぐに、こんなものがありました。

 ○ 念仏山 
念仏山
 ここから鷹取山を目指して歩いてみましたが、(遠くて)途中で挫折してしまいました。
 大山どころの話じゃありません(笑)

 ○ 弘法の里湯  利用料 2時間800円(平日) 1000円(土・日・祝日)
 弱アルカリ性のカルシウム・ナトリウムー塩化物泉

 


 ○ 宮永岳彦記念美術館  開館 AM10:00〜PM7:00   観覧300円
 光と影の華麗なる宮永芸術で知られる宮永岳彦画伯は、父親の転勤のため静岡県出生まれ、名古屋市立工芸学校に学びました。2度の兵役後、実家のある秦野に帰り松坂屋百貨店銀座宣伝部に勤務しながら、昭和21年から15年間にわたり秦野市名小木のアトリエで創作活動を続け、二紀会の設立に参加しました。その後、東京都新宿区筑土八幡町に居を移し、昭和54年に日本芸術院賞を受賞、昭和61年には、二紀会理事長に就任、油絵は勿論のことポスター・童画・表紙画・挿絵・水墨画など多彩な作品を残したそうです。

 弘法の里湯の隣にある美術館です。

 ○ 鶴巻温泉駅
えき
 温泉街を抜けると、小田急線の鶴巻温泉駅です。

 ○ 延命地蔵
延命地蔵
 この地蔵は、約250年前に江戸の豪商が米寿記念に先祖供養のために建てたと言われています。
 高さは台座から3.7mもあり、路傍の石仏としては他に類を見ない大きさですが、あまりの大きさのためにこの地に置き去りにされたという失礼な伝説もあります。
 この石仏が「延命地蔵」と呼ばれ、現在でも長寿祈願と厄おとしの地蔵として土地の人々に信仰されています。
 現在の覆殿は、1813年に大破していた堂舎を再建したもので、その後、嘉永年間・安政年間にも再建されています。
 現在、47軒の講中により8月23日の縁日には素人演芸等が催され、1月23日の初地蔵には念仏を唱える昔ながらの供養がとりおこなわれているそうです。

 ○ 鶴巻の大ケヤキ
けやき
 樹高30m,根回り12m,樹齢600年以上といわれ、県の天然記念物に指定されている。
 地元では、神の宿る木「たたえのき」から、別称大エノキと呼ばれているそうです。

 ○ 極楽寺
 市の重要文化財、十一面観音像が安置されているそうです。



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